蛇池の由来

山梨県甲州市

城ヶ坂橋から砦のあったという西野原へ向かう城ヶ坂は、戦時中に村道を改修する以前は巨木を交えた大竹林が欝蒼とする道で、裾のほうには二十坪くらいの鏡ヶ池という澄んだ水の池があった。この池が蛇が住んだというので蛇池とも呼ばれた。

昔ある秋の夕暮れ、一人の若く眉目秀麗な修行僧が、この大竹林を抜け西野原に向かっていた。その薄暗さ気味悪さにさすがの修行僧も気後れしていたところ、妖艶な娘が現れて、西野原郷まで案内しましょう、という。僧は案内を頼み西野原の宿に着くことができたが、娘のことが忘れられなくなった。

そして、竹林の池で娘と再会した僧は、それより夜毎に逢瀬をつづけ、娘は身籠った。やがて男の子が生まれ、二人は喜んだが、僧はしばしの別れを告げ、何ヶ月かの修行にまた旅立った。その後、一年ぶりで僧が突然帰ってきたときのこと。

僧は池の娘が乳飲み子を抱いて乳をやっているのを見たが、娘の体は上半身が女体で、下半身が蛇体であった。僧は驚いたが、娘も見られたことを知り、池の中に去ってしまった。このときの子が後に名僧となり、清源寺を創始したという。清源寺は廃寺となったが、田上神社奥の院に隣接してあったという。

『塩山市の伝説・民話』(塩山市教育委員会)より要約

原題は「城ヶ坂鏡ヶ池(別名蛇池)の由来」。要約中鏡ヶ池とあるのは原文中「鐘ヶ池」となっているが、タイトルからも鏡ヶ池が本当と思われる。今は池も森も見えない。

土地には、この清源寺の何代目かが大変な風呂好きで、村の家々でもらい湯をしていたという話があり、風呂好きの人を「清源寺坊主のようだ」といっていた、ともある(同資料)。蛇の子の末故の逸話かもしれない。