水晶山と龍人

原文

塩山市竹森に在る水晶山の麓に、三光(さんこう)の池黄金の滝という所があります。

この三光の池は、水晶山から湧き出るきれいな水を湛えた大きな池で、中に大蛇が住んでいると伝えられています。

その上、不思議なことには、どんなに日照りが続いた時でも、水が減る事はなく、又どんなに大雨が降った時でも、決して濁る事のない池で何時も無気味に澄んでいるので、村人たちは龍人様の池とも呼んでいました。

この池の水が竹森川と合流する所に、黄金の滝があります。この澄んだ水が落ちて、下の岩に当ると何とも言えない良い響が聞えるのでその名があるといいます。

この三光の池より約二百メートル南に、円通山、慈眼院という禅寺があります。境内は約一町歩。

この寺に武田光守(新羅三郎義光より十五代目の武田伊豆の守で甲斐の守護職である武田信重の第六子)の奥方が住んでいました。

奥方は或る年の春、龍人の夢を見て懐妊しました。

十月十日の日を経て無事男の子を出産致しました。(西歴一四二五年)

奥方は勿論、村人たちも立派なお世継が出来たと、それはそれは、喜びました。

ちょうど、その子が四才の夏の夜、側に寝ていたはずの子供の姿が見えません。驚ろいた奥方は、寺の内外くまなく探しましたが、どうしても見当りません。

もう疲れ果てて、うとうととまどろみました。

ハッと気付いて辺を見廻しますと、探しあぐんだ我が児がすやすやと可愛いい顔をして眠っているではありませんか。アレ! 今のは夢だったのかと自分をうたぐりました。

こうしたことが三晩も四晩も続きました。奥方はもう夜も眠れません。

考えた末、子供に知られない様に、せっせと糸毬をつくりました。

そして寝ている子供の袖の端に、その糸毬の糸を結びつけ、自分は両手でその糸毬の糸を握り、一寸でも動いたら目を覚すつもりで床につきました。

なかなか眠れません。でも寝たふりをしていますと真夜中と思われる頃毬が動き始めました。。ハッと気付いた時には、もう子供の姿は見あたりません。

奥方は子供に気付かれないように、抜き足、差し足、忍び足で、糸をたぐって行きました。糸は北へ北へと延びて行きます。

しばらく行くと、ハタッと糸が止りました。見るとそこには子供の着物が脱ぎすててあります。池の水面では、大蛇が大きなかま首をもたげて、ゆうゆうとさも楽しげに泳ぎ廻っているではありませんか。

奥方はもうびっくりして声もでません。しばらくは腰も立ちません。

やっとの事で寺に帰ったといいます。それからというものは、池に蛇の姿は見当りませんでした。

附記

大日本史料九編に永正五年六月より六年九月末日までの本の中にその子供の事が次の様に書いてあります。

 器体鮮明骨相不丸 左脇下鱗紋有

又一説にはその子供は顔は蛇ににて左右の脇下に三枚づつの鱗があったとも言います。

然し頭脳は明晰で偉人の相があったとも言われ、一を聞いて十を知るのたとえ、お経なども一度聞けば覚えてしまった程、十三歳で剃髪し向嶽寺の名僧、吾宝禅師や俊翁禅師に弟子入りし、修業を積んで、延徳年間現在の山梨市八坪にある、龍石山永昌院の開山様となり、神嶽龍禅師一華文英和尚となり、永正六年六月六日、八十五才で入寂す、と記してあります。

『塩山市の伝説・民話』(塩山市教育委員会)より