降谷沢の大蛇

原文

むかし、神野部落に「おらく」という年の頃十六、七ぐらいの娘がいました。おらくは小柄だがたいへん美しく、村中の評判の娘でした。

村の中ほどに降谷沢という深い沢があり上流には、ずっとむかしから一匹の大蛇が住みついていました。この大蛇は人間のことなどかまわず、ずっと、山の沢でくらしていましたが、いつしか、おらくの評判を知りました。

大蛇は、ひと目見ようと沢をのぼり、少高いところから畑で働く美しいおらくの姿を見つけました。あまりに美しいのでまい日まい日沢をのぼってはながめるようになりました。そのうちに、とうとう好きになってしまいました。

大蛇は、あの美しい娘を「なんとかして自分のおよめさんにしたいものだ」と考えました。しかし、人間ではない自分の姿を見せるわけにはいかず、どうやって自分のところへつれて来ようかと、いく日も考えましたが、うまい方法が見つかりません。そこで、力ずくでさらってくることにしました。

大蛇は山の尾根に上り、大きなかま首を天につき出し、なにやら唱えはじめました。すると、今まで青くすんでいた空は見る見るうちに雲におおわれ、まっ暗になってしまいました。雨が落ちはじめると、すごいいなづまが東から西へ、南から北へはしり雷鳴は山をゆるがし、やがて、雨は滝のように降りはじめました。

村人たちは、そのはげしさに恐くなり、雨戸をかたくしめて、家にとじこもってしまいました。水かさの増した下の方では、いく軒か大水に押し流されてしまいました。

この大水で降谷沢にあった大木は流され、神野の下流で川をせき止めてしまい、その返り水は浅間神社あたりまで達し、川はあれくるい、一面、海のようになってしまいました。

おらくの家は少し高い所にあったので、まだ水にあらわれません。それを見た大蛇は、こんどはおらくの家のうらの沢に雨を降らせました。沢はものすごい流れとなり、とうとう、おらくの家をのみこむようにして流しだしました。おらくは逃げだすこともできず、家といっしょに流されているうちに、気を失ってしまいました。

大蛇は、流されていくおらくを見つけると、すごいはやさでおいつき、背中にのせると、川をさか上り、降谷沢の奥深くつれさっていってしまいました。

大水が去っていく日か過ぎました。

その後、大蛇とおらくはどこへ行ったのか、だれも見た人はいなかったということです。

秋山村の民話を採集する会『秋山の民話』
(秋山村教育委員会)より