むかし、御坂町の下野原というところに、働きものの長兵衛さんと、しっかりもののおばあさんの老夫婦が住んでいました。
長兵衛じいさんはたしかに働きものでしたが、少々あわてものでしたから、いつもおばあさんにしかられていました。
いつものように、山でせっせと薪作りの仕事をしていた長兵衛さんは、大きなあくびをしてしまいました。仕事がいやになって、あくびをするような長兵衛さんではありませんでしたから、なんだかいやな予感がしました。
「どうしたことだ。まだお昼までには間があるちゅうのに、この始末だ」
長兵衛さんは、木の間からお日さまの位置をはかりながら、そうつぶやきました。
向かいの山にお日さまがかかればそろそろお昼で、長兵衛さんが、おばあさんの作ってくれる大きな握り飯を食べる時間です。それからしばらく木のかぶに頭を押し当てて昼寝をして、また夕方まで働くのが長兵衛さんの日課でした。ところが今日は、お昼ご飯を食べない前からこの始末で、とうとう長兵衛さんは木のかぶをまくらに眠ってしまいました。
いったいどれだけ眠ったのでしょう。長兵衛さんは夢うつつにものの気配を感じて目を開けました。するとどうでしょう。長兵衛さんの目の前に、青い大きな蛇がほのおのような真っ赤な舌をペロペロさせながら、いまにも長兵衛さんをのみ込もうとしているのでした。
「キャーッ」
と、長兵衛さんは叫ぶと、持っていた鉈を投げつけて一目散に逃げ出しました。途中で振り返った長兵衛さんは、またまた驚きました。長兵衛さんの投げた鉈が、大蛇には運悪く、長兵衛さんには幸運にも大蛇の眉間に当たって動けなくなっているのでした。
それでも臆病な長兵衛さんは、これはきっと大蛇が死んだ真似をして長兵衛さんが近づくのを待っていて、のみ込む機会をねらっているのだなと思いましたから、長兵衛さんは息せき切って家へ帰ると、そのままふとんにもぐり込んでしまいました。
おじいさんから大蛇の話を聞いたおばあさんは、なんだか不思議な気がしてきました。
あんなところに大蛇が住んでいるという話も聞いたことがなければ、おじいさんの投げた鉈が運よく大蛇の眉間に当たって死んでしまったというのも、不思議な気がしました。
しかし、おじいさんの話はたちまち村中の評判になり、「蛇切りの長兵衛さん」といわれて尊敬されるようになりました。そうなると長兵衛さんもげんきんなもので、急に元気が出てきて、大蛇退治の話を自慢そうに話すのでした。
「大蛇は一〇間(一八メートル)もあるような大きさで、金色の目を持ち、真っ赤な舌をほのおのように突き出して体を巻きつけたが、おじいさんは少しも慌てずに巻かせておいて、いよいよ大蛇の眉間が近づいたころ合いを見計らって“エイッ”と一撃のもとに倒したのだ」
と、いうのです。
はじめのうちは自分でも自慢しすぎたような気がしましたが、何回も同じ話をしていくうちに、それが本当のように思えてくるのですから話がますます大きくなりました。長兵衛さんは、いまや押しも押されもしない村の英雄になりました。
しかし、英雄になった長兵衛さんにも、困ったことがありました。それは、おばあさんが長兵衛さんの話を信じていないことと、家のまわりにたくさん積んであった薪が、だんだん少なくなっていくことでした。薪がなくなれば、また山へ薪をつくりに出かけなければなりません。
やたらに自慢した大蛇の話で、長兵衛さんの胸の中の大蛇もいよいよ大きくなるばかりです。
夏も過ぎて、秋がやってくると、山は一面の紅葉に変わりましたが、長兵衛さんにはそれが大蛇の出す舌の色にも思えて、気が気ではありませんでした。そして、とうとう長兵衛さんの家の薪は一本もなくなってしまいました。
「おばあさんや。それでは薪をつくってくるけん」
力なく声をかけると長兵衛さんは、おばあさんのつくってくれた大きな握り飯を持って、とぼとぼと家を出ました。途中で出会う村の子どもたちまでが、
「蛇切り長兵衛さんが通る」
「長兵衛さんだ」
というものですから、いやでも長兵衛さんは、胸をそらせて堂々と歩かなければなりませんでした。長兵衛さんは涙が出そうになるのをこらえて歩きました。
山にさしかかると長兵衛さんは、ますます元気がなくなりました。
「どうか大蛇に出会いませんように」
と祈りながら歩くのですが、山ばとが飛び立っても、風で枯れ葉が落ちてきても、長兵衛さんは飛び上がって驚きました。そして、ようやく目的の場所にたどり着いたとたん、
「あっ」
といって、思わず息をのみました。
そこには、大人の背の高さの一〇倍もありそうな大蛇の白骨が、長兵衛さんの投げた鉈を眉間深く食い込ませたまま横たわっているではありませんか。
長兵衛さんは身ぶるいしましたが、どうせ相手は骨だけになっているのですから怖がることはありません。長兵衛さんはたちまち元気づいて、
「おまえは、こんなところでくたばっていたのか」
と、大声で叫びながら、大蛇の白骨をばらばらにけとばしてしまいました。
「こうしておけば、もう元の体にはならないだろう」
長兵衛さんは、薪をたくさんつくると、すたすたと家へ帰ってきました。
ところが、その晩から長兵衛さんは、ものすごい熱にうなされ、
「だ、大蛇が出た。た、助けてくれ」
と、わめきながら床の上をのたうち回り、眉間に手を当てて、
「痛い。痛い」
と、叫んだりしていましたが、三日めの朝、とうとう長兵衛さんは死んでしまったのです。
「これは大蛇のたたりにちがいない」
といって村人は恐ろしがりましたが、村の人たちが生きていくためには、どうしても山の薪をとりに行かなければなりません。しかし、蛇切りの長兵衛さんでも大蛇のたたりにかなわなかったのですから、村人はだれひとり山に入れません。
「これは困ったものだ。この上は大蛇の好きな酒でも供えて、たたりをやめてもらうことだ」
と、だれかが言い出すと、村人もみんな賛成しました。しかし、その酒をだれが届けるかとなると、みなしりごみしてしまうのでした。
そこへ、長兵衛さんのおばあさんがやって来ました。
「村の人たちを救うのであれば、私がそのお役を引き受けましょう」
と、申し出たので村人は大喜びで、
「さすが長兵衛さんのおばばだ」
と、さっそくその役を頼みました。
おばあさんは身支度をすますと、棒の先に酒をつるしてゆっくりと山に登っていきました。
おじいさんが言った場所にたどり着いてみると、そこには一本の老木が立っていました。老木の幹には、ほら穴のように大きな空洞があって、その空洞の上に長兵衛さんの鉈が、ささったままになっていました。
「いやだよ。おじいさんはこんな老木を大蛇とまちがえたんだよ」
そう思って見てみると、よくよく大蛇の口に似ています。空洞の前には大きな石がいくつも散らばっていて、これを長兵衛さんは蛇の骨だと思ったのでした。
そのうちに風が鳴って、空洞の中からも強い風が吹いてきました。
「これをおじいさんは、大蛇の吐く息と思ったのだ」
おばあさんは、おくびょうなおじいさんが、毎日一人でこんな寂しいところで薪をつくっていたのだと思うと、急に、死んだ長兵衛じいさんがかわいそうに思えてくるのでした。
おじいさんをおくびょうものと、もの笑いにさせてはいけないと思ったおばあさんは、このことは村人に内緒にしておこうと考えました。そうして、持ってきた酒を空洞の前に供えると、おじいさんの鉈を引き抜き、それを証拠に山を下りていきました。
村の人たちは、大蛇の眉間にささっていたおじいさんの鉈を見て、あらためて長兵衛さんの勇気をたたえ、それ以来、大蛇が出なくなったと言い伝えました。
それにしても、しっかりものの妻を持ったものは幸せだと、そんなうわさも村のあちこちでささやかれたということです。