輿石の池

原文

むかし、台地の輿石郷に、輿石の池っちゅう池があってな、数々の伝説を残しておる。

この池は、周囲五十歩ほどの小さな池だが、一種神秘的なおもむきがあり、池に竜神が棲んでいたともいわれておった。

竜神は、もちろん神通力をそなえており、郷民は、竜神に信仰を捧げ、かわりにいろいろの願いごとをしたと。

たとえば、郷中に大だっちょう(祝言とか葬式などで大勢の人が集まること)があるときなど、大変ちょうほうだっただと。

「竜神様、お願えでございます。明日伜が嫁っこ貰うで、大だっちょうをせにゃあなりませんです。つきましては、膳椀を五十人前ほど、心配してもれえてえですけんど、へい……」

こんな具合にな、池に向かってお願えするっちゅうと、翌朝にはちゃんと、願いの物が揃っているだと。

ところがだ。どこにもいる横着者が、親父の法事の時、三十人前借りた膳椀を、返す時一人前ごまかしただと、一人前ぐれえじゃ、分からんと思ったずらけんど、竜神様を騙すことは出来ねえ。次の者が、今度はおふくろの葬式でお願えに行ったら言われた。

「この郷中には、不心得者がいるので、今後膳椀を貸すことは相い成らん……」

竜神は大変おかんむりで、何度お願えしても頑として首をたてに振ってはくれない。それどころか、膳椀をごまかしたやつがある日、ぽっくり死んだのにつづいて、郷中に次から次にと不幸がつづいただと。

さあそうなると郷役人は気が気じゃあねえ。有富山慈照寺に行き、ことの訳を話して、竜神にかけあってくれるよう頼んだ。

「さてな、話の様子だと、多分むつかしかろう。しかし、何とかしてやらねば、みなも困るじゃろ……」

郷役人に頼まれた慈照寺の和尚は、重い腰を上げて輿石の池に行き、数珠を鳴らして経文を唱え、竜神に向かって禅問答をはじめた。池のまわりには、郷中の者どもが大勢集まり、結果やいかにと見守っておった。

「和尚さんは一体何を唱えているずら……」

和尚の法論が、無学文盲の輩に分かるはずがねえ。

互いに、ひそひそ声で勝手なことを話していると、突然池が波立って、水面を破って大きな竜が躍り出た。

「あっ、竜神様だ……」

誰かが叫んだ。同時に天地が鳴った。大地がぐらぐらゆれた。

「ひえーっ! お助け下せえ……」

一人残らず腰を抜かし、池の端にはいつくばっちまっただと。すると黒雲が風といっしょに流れたと思うと、雲は渦を巻いて天に昇った。

「和尚さん、これは一体どうしたこんで……」

郷役人が訊くと和尚いわく、

「うん。実はな……わしは竜神に今までどおり郷中の人たちの願いをかなえてやってくれと頼んだのだ。ところが竜神は絶対だめだと言う。今後も不心得者が出るに違いないと言うんじゃ。そこで言い争いになってな、それでは禅問答で結着をつけようと言ったんだ」

「なる程、それで和尚さんが勝ったですね」

「そのとおり。ところが竜神は、余程くやしかったとみえ、わしとの約束を破って、池をとび出し天に昇ってしまった。だから、もう竜神はこの池にはおらん……」

「おらん。竜神様はおらなくなったですけ」

「何てこった。えれえこんになっちまった」

郷の衆はぶつぶつ言いながら解散したが、このままでは困るので、郷役人が考えて、各戸から金を出し合い、膳椀の講みたいなものをつくっただと。それが、つい最近までつづいておった。膳椀組合とか何とかいうあれの前身みたいなもんずら。

そうだ、こんな話もある。明治になってからだ。すでに竜王村といわれるようになってからだと。百年ばかり前だ。竜王原村(今の竜王一区)に婿養子に来た者は、養家に入る前に必ずこの池で身を清めたそうだ。

また、一説にこんなのもある。

慈照寺の竜王水の池と輿石の池の水は地下で結ばれておってな、水の味も同じだった。ところがだ。明治の中頃中央線のトンネル工事がはじまると、輿石の池の水がぐんぐん減って、とうとう、うす汚い沼になっちまっただと。

「地下の水脈を切られただなあ……」

「慈照寺の竜王水との縁も、これで断えたっちゅう訳か……」

原村の人たちは、池に水のなくなったことを嘆き悲しんだだと。

 

《輿石の池》は、鉄道工事により伝説を失った。

今は、所在を問うても答えられる人は数少ない、葦草の中に、ただ痕跡だけが残されているが、その痕跡もやがてなくなるだろう。(原田重三)

竜王町文化協会『りゅうおうの民話』
(甲陽書房)より