輿石の池

山梨県甲斐市

昔、輿石に池があって、竜神が棲むと数々の伝説があった。竜神は郷中の大だっちょう(人寄せ)の際には、膳椀などを貸してくれ、重宝され信仰されていた。しかし、ある時一人の横着者が、一人前ごまかして返さず、竜神は怒ってもう願いを聞いてくれなくなった。

それにとどまらず、この横着者がぽっくり死に、郷中に不幸がたて続くに至って、郷役人は慈照寺の和尚に竜神に掛け合ってくれるよう頼んだ。難しかろうと言いながらも和尚は重い腰を上げてくれたが、皆が見守る中の輿石の池の対面の末、竜神は池を飛び出し天に昇って去ってしまった。

和尚曰く、やはり首を縦に振らぬ竜神に、和尚は禅問答での結着を了承させ、和尚が勝ったのだが、竜神はよほど悔しかったと見え、池を去ってしまったのだという。郷の衆はえれえことになったとぶつぶつ言いながら解散したが、もう膳椀が貸されることはなかった。

こうして、郷役人が、それでは困るだろうと各戸に金を出し合わせ、膳椀の講みたいなものを作ったのだという。つい最近まで続いていて、膳椀組合などの前身みたいなものだった。明治になって中央線のトンネル工事があり、その池の水も枯れてしまった。今はもうその跡を知る人もまれだという。

竜王町文化協会『りゅうおうの民話』
(甲陽書房)より要約

慈照寺にこの輿石の池と通底する竜王水があり、竜王町の名の由来だともいう。池があったころは、よそから婿入してくる男衆は、まずこの輿石の池で身を清めたと、そういう重要な池だったそうな。

そういった池が膳椀を貸したというのは全国にたくさんある話であり、この輿石の池も多分に漏れない典型的な事例だが、一点、きわめて重要なところがある。それが、膳椀を共有する講のような組織の由来として語られていたらしいところだ。

ほとんどの椀貸し淵の伝説が「返さねばならぬ」ことを最重要の肝として語る理由はそれでほぼ説明がついてしまう。おそらく、異なる社会集団から膳椀がやってきていた頃より後になって重要となったモチーフなのだろう。