清泰寺の蛇骨

原文

清春村片颪清泰寺の二十五代の方丈白雲の頃だという、釜無川の曲淵に不可思議な物語が生まれた。それは此の淵に祈れば時を限らず膳部が貸与されることだった。村人は人寄りのある毎に淵の辺に座して祈った。「膳部何人前」と願えば翌朝必ず岸辺に浮いていた。次第に馴れてしまった村人は平気でその膳部を使っていたが白雲はそれが何者の仕業であるかを確めねば気が済まなかった。

今しも夕陽の淵のほとりに座して懇に祈終えた彼は、静に金波を眺めながら明日を期待した。

夏の夜は早く明けた。白雲は逸早くかの淵辺に立った。蒔絵の美わしい膳部が濡れもせず浮いているではないか。片手に引寄せおし戴いた彼はやがて其処を立去った。

一日、二日、三日経っても彼は之を返そうともしなかった。何事もなく過ぎた五日目の夜だった、看経に余念なかった白雲は耳馴れぬ声を聞いた。「もしもし」「今晩は」「今晩は」

やがて彼は客を招じた。背の高い面高の女だった。

「あのーいつぞやお貸し致しました膳部を戴きにあがりました。」「何膳部を?」「ええいつぞやお貸ししたあの膳部で御座います。すぐお返し下さいませ。」

彼は暫く黙したまま彼の女を見守っていた。「どうぞお返し下さい。」

真白な手が彼の前に差し出された瞬間、彼は隠し持った一刀を抜く手も見せず切りつけた。次の瞬間もう其処には女の姿はなく差し出された腕のみが見事に切落されて横たわっていた。而かも妖しやその腕は見る見る鱗重なる大蛇の腕と化した。

其の後は膳部を借りた者もなく借りに行こうとする者もなくなった。

この話から百有余年数代の方丈を経た今日、尚お蛇骨として清泰寺に蔵されているという。片颪部落では数年前までは旱魃打続く夏は必ずこの蛇骨を借りて水を注いで雨乞いを行ったが何時も験があったという。

北巨摩郡教育会『郷土研究 第二輯 第一冊 口碑伝説集』
(昭和10)より