むかし、平沢部落の人たちの生活は苦しく、お客さんやお祝いごとがあっても、布団や皿・おぜんなどをそろえることができない家が多かった。
いつのころからか、宮詞(ぐうじ)の滝の手前の大岩の上で、滝に向かって借りたい物をお願いすると、次の日の朝には、その岩の上に品物がちゃんと置いてあるようになった。人々は、きっと「よいまもの」が住んでいて、人々の願いごとをかなえてくれるのだと思い、借りた物を大切にあつかっていた。
ある時、「おきよ」という人が、皿を借りたが、誤まってその皿をこわしてしまい、返すことができなくなった。「おきよ」は大そう困ったがどうすることもできなかった。
しばらくして、おきよは、滝の上の道を考えこみながら歩いていたが、あやまって踏みちがえ、淵から落ちて死んでしまった。
人々は、皿を返さなかったので、滝の住む「まもの」が、おきよを滝へ引きずりこんだものだと考えた。
それからは、このなぎを「おきよなぎ」というようになった。(出羽正敏)