女取川哀話・二

山梨県北杜市

谷戸村におかよという母と八造という息子が二人で暮らしていた。もとは相当な家柄だったが、父が死んでからは貧しくなり、八造は信州立沢村へ奉公に出た。そして、真面目で人品も賤しくなかった八造は、主人の家の一人娘と恋仲になった。

娘のお腹には子も宿されたが、身分の違いは如何ともしがたく、娘はせめてその誠実の証に形見の品がほしい、といった。八造は母が殿様に奉公していた頃拝領したという巾着を思い出し、暇をもらうとその巾着を持ち出しに家に帰った。

八造は母の身を案じて戻ったと嘘をつき、安心して母が眠った隙に、巾着を手にいれ主家に戻ることにした。ところが、川まで来ると雨で増水して渡れない。そこをどうしても戻りたい一心で足を踏み入れた八造は、深瀬にはまり溺れ死んでしまった。

八造の溺死体が見つかり、すべてを知った母おかよは、恋に目がくらんで死んだ息子の非業を悲しむと川に身を投げ、自ら巾着に身をやつし、川の主となって若い娘たちを取り殺してくれる、と蛇体となった。以来、この川は巾着の主がいる女を取る川だといわれるようになった。

長坂町『長坂のむかし話』より要約

しかし、こちら八造の母おかよが巾着となり蛇体となる話は、息子を誑かした(と、おかよには思えた)若い娘への憎悪である、という特異な展開となっている。この理由で蛇体となる話というのは珍しいのじゃないかと思う。

郡内の話は悋気のすえというのではないが、野州のもともとの親鸞の大蛇済度の話はそうであり、こちらにもその流れがあった可能性、というのはある。ともあれ、おそらく「めとり川」の名前ありきで伝説ができたのじゃないかと見ているが、周辺のこの川にまつわるまた別の話が見つかることが望まれる。