円井池

原文

昔、円野町宇波円井に、反正天皇の皇女円姫(つぶらひめ)が、この地に足をとどめられ、里人に機織りの法を授けたり、学問の手ほどきなどしたので、土地の人たちから「姫様、姫様」とあがめられ、かつ親しまれていた。

姫の住まいの真近に、大きな池があって、清水がこんこんと湧き出て、一年中涸れたことはなかった。ほとりには千草が咲き乱れ、美しいたたずまいに、姫は余程お気に召したと見え、池には鯉や鮒など、たくさん放って育てていた。

姫が岸辺に立ってポン・ポン・ポンと手を鳴らすと、さかなだちは群り集まってくると「さあ、おあがり」と、ざるからエサを投げ入れてやる。そして魚だちが嬉々としてこれを食べて、成長していく有様を見るのが、なによりの楽しみであった。

毎年お盆には、村人が集ってきて、この池畔の一隅で、月光に輝く池面に、自分だちの影を映しながら、夜を徹して踊る。姫も輪にはいって踊った。

踊りなかばに姫は、麦茶や饅頭などを振るまって、ねぎらいをする。村人にとってはこよなく楽しい行事であった。

このように姫と土地の人とは、密接なつながりを持っていた。村人はかわるがわる、蚕の蛹(さなぎ)や油揚げのソバ粉など持参して「姫様には子供がないから、池の魚にやってくだいしょ」という。姫はそのたびに心あたたまる思いがした。

姫は時おり近くの小高い山に登り、あたりの景色を眺めたり、木々にさえずる鳥の声など聞くと、遠く離れた都に帰ったような、懐しさがよみがえってくる。

ある初夏の日、深緑の山に向かい、心行くまで山の気に浸り、足の運びもかろく、途中まで帰ってくると、飼い犬「白」のただならぬ吠えるのが聞えてきた。姫はなに事だろうと急いでわが家へ戻った。

ふと、池の方を眺めると、二・三人の漁夫だちが、吠えまわる「白」を避けながら、池の魚を捕っている。

姫は大声で「その魚は捕ってはなりません。捕えたのは、みんな池の中へお戻し下さい」と叫んだが、漁夫だちは聞けばこそ、懸命に取り続けている。姫はたまりかねて「聞きわけのない人だちじゃ、およしなさい!」といって、魚籃(びく)の中から、魚を池に投げ入れ、そして捕える手を制した。

漁夫だちは「このアマッチョめ、なにをしやあがるだ」と踊りかかり、しばらくの間双方が揉み合った。

姫はかつて習い得た護身の秘法を用いた。荒れ狂った男だちも、これには抗しがたく、頭の鉢をっかえる者、びっこを引く者、腰をくの字に曲げて、やおら遁れながら「えれえビク(比丘)もあったもんだなあ」「ただもんっじゃねえぞ」「なんでも、都からこけえ落ちついた姫とか聞いたな。いや、しくじり、しくじり」と、かれらは一物も得ずして帰って行った。

しかし姫はこのとき、なにかのはずみで、かれらのために片目を負傷し、失明の憂き目にあったが、魚だちは無事助けることができた。

そのごも姫は、池の魚類の愛育と、人々にも変らぬ情けをかけながら、生涯を終えた。

里人は姫の死を悼み、池畔に霊を祀って、毎年十月二十四日に、祭礼を執り行なった。

祭には池畔に逆杭(さかぐい)を打ち、ヌルデの木で三爐をつくり、法印が護摩を焚きながら呪文を唱えて、あんどんの火を消し、御幣を池の中に鎮めて、火伏の祈祷をする鎮火祭が行なわれる。

姫がなくなられてからこの池の魚はみな片目だといわれる。

その池は宇波円井の部落から、西方三丁ばかり山路を登りつめたところにある。

円井池の名にふさわしい円形の池で、現在は清水の量もかわり、沼池と化し水草が繁茂している。池の西北のほとりに、石祠を建てて年久しく、姫の霊を慰めたが、時代の推移と共に、ここを訪れる人は極くまれで、地元でもこれでは済まぬとし、上円井の神社の境内に、石祠は移された。(口碑伝説・松のしらべ方言伝説集)

内藤末仁『新版 韮崎市の民話伝説』より