弦間八兵衛は弓の名人で、五人張十五束を引いた。あるとき駿河より船に乗ったが、海路一匹の鮫が現れ、船の針路を阻んだ。船頭は、手拭いを下げて鮫に引かれたものが犠牲にならなければいけない、という。そして八兵衛の手拭いが引かれたが、八兵衛は色を成して怒り、ただちに鮫を射殺してしまった。
その用務を終えての帰り道、浜辺を通り、鮫が白骨と化しているのを見た。八兵衛は自分を見こんだのはこの鮫かと、足で蹴った。すると、その白骨が八兵衛の足を刺し、その傷がもとで病気になった八兵衛は駿河で死んでしまったという。(『中巨摩郡志』)
弦間八兵衛正吉は江戸時代はじめ頃の実在の弓の名人で、『甲斐国志』に見える。甲府市大里町あたりの人だったようだ。
話は鮫の報復だが、これは蛇の執念深さを語るものとして見るもので、房総の豪傑・関平内左衛門が退治した大蛇が鮫となって……というような話がある(「内梨滝の大蛇」)。
また、常陸北浦では討った大亀の甲らを踏んで死んだ土豪の話があったり、遠く四国のほうでも、大蛇を討った猟師がその白骨を蹴とばして死んだりしている。その骨が祟る、というところまで大ざっぱにみると、やはり蛇の話が本来だろうか。