雨乞いをした若者

山梨県甲府市

その昔、相川の里が水不足になり困ったところ、ある若者が大橋の主に頼んでみようと言った。そして大橋の上に来、追分を唄うと主が怒って出てくると聞いていたので唄った。すると本当に大橋の主が怒り現れ、なぜ追分を唄う、と詰め寄るので、若者は素直に雨を降らせてほしくてやったのだ、と謝った。

大橋の主は思案して、積翠寺のおたあ明神に行って頼むがよい、と告げて若者を許した。早速若者が積翠寺へ行き、おたあ明神に雨乞いをすると、どこからともなく「一生か一代か」と声が聞こえた。若者は驚き喜んで、一代で結構と答えた。

これにより、若者が積翠寺を下る頃には曇りだし、相川に着くころには雨が降った。それからは相川は干ばつに困ることはなかったが、この若者が老い亡くなると、また日照りで困るようになったという。村人たちは「一生」とお願いしておけば、と思ったそうな。

甲府市webサイト「おはなし小槌・第二集」より要約

大橋とは国玉の大橋(今はない)のことだが、もとは郡内猿橋のヌシと仲が悪く、猿橋の噂をすると怒る、というものだったようだ。以後、葵上をうたうと道に迷うとなったり、追分をうなると目だらけの化け物が出るなどとなった。

さて、この雨乞いの話で少し気にしておきたいのは、特異な部分である、その神に「一生か一代か」と問われるところ。もしかしたら、一代限りでおたあ明神に仕える男衆というのがいたのか、という印象を受けた。雨を降らせる竜蛇に仕えるというともっぱらに巫女となるが、そうとも限らないかもしれない。