変った定紋

原文

古関小学校の近くに、犬石と云う野石がある。旧村古関の地頭は、弓術に秀いでていたので陣場の中に的場を造り弓術の指南に時折り狩に出られるので愛犬もあった。

或る日単身愛犬を連れて本栖路に出掛け克き獲物をと探す内、木蔭の芝生に腰をおろして少憩すると睡気を覚えてうとり克き心持になっている処へ愛犬は主人を案じて戻り来って、頻りて吠え立てるので其れを制して、更に睡気は深くなった、其の時愛犬は時ならぬ声で、主人の膝頭に噛み付いた。

若狭之助は一刀の許に切り捨てた、其の瞬間愛犬の首頭は、藤蔓の藪に飛び込んだ、彼方を見ればあわや一口と、大蛇が構えていたのであった。若狭之助は大刀を翳して大蛇を退治して、忠犬の遺骸を持ち帰り鄭重に葬り今に伝える犬石である。近くに六三中学の敷地の地下より五輪塔が九基其他が発掘……

因に若狭氏の定紋は、下り藤の中に犬の文字を入れて使いていたが、今一族は犬が嫌いか、其の由来を知らずや、大の字を入れた藤の紋……世も変われば犬も主人を置き去りにして一目散に逃げて行く。

峡南郷土研究会『峡南の伝説』(昭27)より