厄年の大蛇

石川県鹿島郡中能登町

結婚して間もない男が出稼ぎに遠方に行っていた。子が生まれたが、嫁が難産で寝込んでいる、と里から便りがあり、男は急いで帰ろうとした。途中夜になってしまい、道脇のお堂に泊まった。すると夜中に神さまが現れて、嫁も子供も無事だから安心しなさい、と教えてくれた。

そして、この子が二十五歳になったら大厄を受ける事になる、ともいう。しかし、これも何かの縁だから自分が守っておいてやろう、命は助かるだろう、ともいった。男は翌朝、不思議な夢を見たと思って、里に帰ると嫁に話した。

それから二十五年。赤ん坊は立派な若い衆になって、在所の用水池の普請に汗水垂らして働いていた。昼になって皆握り飯を食べ出したが、若者は何故か食べる気にならず、そっと土手から池中に握り飯を転がした。すると池の水が盛り上がって中から大蛇が顔を出した。

大蛇はお前を飲もうと思っていたが、おいしい握り飯のおかげでその気がなくなった、と握り飯の礼をいって消えた。若者がその事を両親に話すと、あのときの神さまのいったのはこれかと明らかになり、お堂へ沢山のお供え物を持ってお礼参りに行った。

『鹿島町史 通史・民俗編』より要約

運命にまつわる竜蛇の話。概ねこの型の話は、このように泊まったお堂なり木のウロなりで数十年後の厄が予告される。そしてその禍が起こり、この話のように神さまの守護で助かる。過去に話を聞いていたのが身内というわけでもない猟師で、その猟師が助けに現れたりもする。

昔話の「神さまの運定め」は多く同時に生まれる子の負け勝ちの運命を語るものだが、このように「厄がある」と予告するものも多く「水に引かれる・河童竜蛇に取られる」ということをいう。関東のほうに行けば師走朔日の川浸り餅の由来としてまま採用される話型だが、それを外れてもこうして同じように語られるようだ。