池田の大蛇と椿の森

原文

市野坪部落の奥、県道に沿って刈羽郡近くに池田という所がある。 昔この沢一帯が大きな池であったが、次第に開拓され、いまは形ばかりの池となっている。この池は天然の凹地で、別に人工的に土手を築いた形跡はない。

昔、この池に大蛇が住んでいて、あるとき熊の森(西蒲原島上村)の池の主の大蛇に縁談を申しこんだが、熊の森の大蛇は、あんな小さな池へ娘をやることはならんと断った。

池田の主は大いに腹を立て、よし、それなら熊の森の池を埋めてやろうと、小木の城の南側の土を掘って、うんと背負いこんで出かけた。

さて荷が重すぎたか、道がはかどらない。夜の明けないうちにと急いだが、村田(和島村)のあたりで早起きの家があって、鍋のすみ(煤)をとっていた。その物音に驚いた大蛇は、もう夜が明けたかとあわてて走り出したので、背負っていた土の大きな塊を落としていった。

それが椿の森である。

熊の森まで行くまでに、ところどころに土を落としたものか、いまでも平坦な田んぼの中に小山のように点々と残っている。

椿の森は、小木の城と同じように、ケヤキの大木と椿が生え茂り、お祭りしてある熊野神社までも同じなのは、このためだといわれている。

(『小木の城山』から)

『出雲崎町史 民俗文化財編』より