おとわ池

新潟県佐渡市

むかし、佐渡の長福寺に、乙和という下女がいた。ある時、村の娘たちと奥山に蕗を採りにいく。途中娘たちとはぐれ、あわてて駆けているうちに、馬の足跡の水たまりに足をふみこんで腰巻きをよごす。近くの池でそれを洗っていると、池の主があらわれて、この池で腰巻きを洗った者はわしの女房になる掟だから、三日後に迎えに行くという。乙和はたまげて、逃げ帰って床についてしまう。

三日目になると、主の大蛇がやってきて、寺の本堂を七巻半まき、乙和を渡さねば、大水を出して、村の田畑を流してしまうという。和尚は困って三日間だけ待つようにいい、りっぱな若者の姿で来てくれと頼む。大蛇が帰った後、和尚は乙和を呼んで仏の道を説いて聞かせる。

約束の日、乙和は村中の人に見送られて馬で迎えに来た若侍の馬に抱きあげられ、池に嫁ぐ。数日後、村人たちは、池の中央に浮島が出来ているのを知る。そして、それは乙和が池に住みついたしるしだろうと噂し、その池を「乙和池」と呼ぶようになる。旧六月二十三日は、乙和が池の主に嫁いだ日だといい、村人は池に供物をするという。(『佐渡の民話』)

『日本伝説大系3』より

乙和池は佐渡市山田の北端に今もある。伝の浮島は、日本最大の高原湿原性浮島として知られ、貴重なものだそうな。水のヌシに嫁ぐ娘の話としていろいろ興味深い内容をもつ話だが、今はその名前「おとわ(他では音羽など)」が乙の字で記され、乙姫・乙坊(音坊)に近い、という参照事例として引いた。