昔熊森に大きい池があり、池の主の大蛇がいた。その大蛇に池田(出雲崎町西越市野坪の奥)の池の主の大蛇が縁談を申し込んだ。「あんなに小さい池の主へ可愛い娘をやれない」と断ったところ、池田の主が怒り、熊森の池を埋めてしまおうと土をたくさん背負ってでかけたが、村田(和島村)まで来たら鶏が鳴き、あわてて背負った土を落としてしまった。一番多く落ちたところが椿の森(和島村島田)で、熊森の池まで来たときには土がすっかり無くなってしまっていた。
この話は出雲崎町の池田の方でも語られていたようで、『出雲崎町史』にもほとんど同じ話が掲載されている(「池田の大蛇と椿の森」)。しかし、特に断念する際の様子に微妙な違いがあって面白い(池田では早起きの家が鍋の煤を落とす音に驚く)。見比べられたい。
いずれにしても、土を背負って移動し、その土が落ちて周辺の森になっているなど、ダイダラボッチなど巨人伝説のモチーフとたいへん近いものがあるところが目を引く伝説だ。鶏が鳴いたりなどして「朝が来たのであきらめる」というところもそうである。巨人の所業と同じようなことをする竜蛇がいることはまま問題となるが、これはその線において参照される一話だといえるだろう。
ただ、この池田─熊森というのは直線距離にして20km離れていて、どういう理由でこの二所を結ぼうとしたのかというとよく分からない。熊森は信濃川のそばといえるが、池田は異なり、同水系の渡りともいえない。
出てくる椿の森(現存)を指標とすると、大蛇は池田から海との間の島崎川沿いに土を運んで行ったと思われるが、これが何を意味したものなのか。伝説の舞台両端に同じ話が語られるというのは何気に希少な例だ。この間をつなぐ線が何か見つかると、大変重要な事例となるかもしれない。