精進ヶ池

原文

ススキの穂が二子山を白く色どり、秋風がそよぐころ、毎夜、池のほとりの岩に腰かけ、銀色の月の光を浴びて尺八を吹く盲目の男がいた。名を庄次という箱根村のあんまで尺八の名手。さえた音色はうるしを塗ったような水面に流れた。ある夜、庄次の尺八の音に魅せられたのか妙齢の美人が現われ、熱心に聞き入った。こうして幾夜も回を重ねるうちに庄次と女は深い仲になった。

満月をあすにひかえたある夜、女がいつもよりおそく来て、しかもうれいに沈んでいる。庄次が尺八を吹き終わると、女は男の手を取ってさめざめと泣いて別れをつげた。

「今夜限りのはかない恋でした。実はわたくしはこの池に住むダイジャ。ことしは年が満ちてあすいよいよ昇天せねばなりません。そのさい村を荒らして山も川も田も泥海に化し、村人はことごとく死に絶えます。あなただけは今夜のうちに山をおりて、月夜には尺八を吹いてわたくしを思い出してください。ただい、このことは他言しないように……」といって女の姿は水面に消えた。

驚いた庄次は村に帰ると村人に一部始終を打ち明け、夜の明けきらぬうちに下山した。大騒ぎとなった村では、物知りの発案でヘビのきらいな鉄という鉄をかきあつめ、翌朝、ナベ、カマ、ハサミ、ノコギリなどを池に投げ込んだ。

たちまち、池の面に渦巻きがおこり、雷鳴が全山をゆるがした。

しばらくしておさまったが胴回りが四斗ダルほどもあるダイジャのしかばねが水面に浮かんでいた。そのころ芦ノ湯から湯本に通じる日和見坂(ひよりみざか)に庄次の息絶えた姿が発見された。全身にヘビのウロコが突き刺さっていた。その場所は芦ノ湯から元箱根への途中、鶯坂(うぐいすさか)ともいう。村人が庄次の死をいたんで、死体が見つかった場所に供養塔を建てたと伝えられるが、長年の雨風にくちたのか、奥深い草むらに隠れているのか、捜しても見当たらない。

ダイジャ退治で投げ込まれた鉄分のため池の魚が死に絶え、ゆえに精進ヶ池と呼んだが、別に庄治ヶ池ともいう。庄次を一字違えて名づけたのだそうだ。

また、男は江戸日本橋本町通りのもめん問屋安芸屋金右衛門のむすこ金之助で病を養って芦ノ湯温泉松坂屋に宿泊中だったとの説もある。池の水がかれないのはこんな伝説を秘めているからだと古老は強調している。

読売新聞社横浜支局
『神奈川の伝説』より