これはこれは

原文

今は昔、相模の國酒匂川の口に、正助という男がありました。生れつき正直で、かりそめにも偽りを言わず、人の言うことは、何事も真とばかり思い、又金銭の欲も無く、葱売りをしていましたが、いつも貧乏でした。

ある年の暮に、よそなみに、餅をつこうとは思いましたが、餅米を買うお銭を持ちませんので、しおれ果ててある川ばたをぶらつき、川面をじっと打ながめて居りました。

すると、一匹の小亀が、ヒョコヒョコと這い上って来ましたが、真直に正助の傍に寄り、

「お前を、よい処に連れて参るから、私にお乗りなさい。その代り、乗ってからは、目をつぶっておいでなさいよ」

と言いました。亀が口をきくとは、不思議でたまりませんが、例の馬鹿正直でありますから、疑いもせず、目をしかととじ、やおら亀の背に飛び乗りました。

それから、二三時間も過ぎましたかと思う頃、どこへ着きましたのか分りませんが、

「飛びおりなさい、目を明けてもようございます」

といわれましたので、その通り飛びおりて目を明いて見ますと、こは又どうでしょう、金ぬり朱ぬりの大きな家が、天にも届く程高く峙(そばだ)ち、道も広く人も美しく、遂ぞ話にきいたこともない、立派な國に来ていました。正助は、夢を見てますような心になりまして、ぼんやりと立って居ますと、亀が又、

「お前さんは、まだ知らないでしょうが、ここが龍宮です。こちらへおいでなさい案内しますから」

と先に立って進みました。正助は、怖々ながら、その後について行きますと、金楼玉殿というて、美しい綺麗なお寺見たいな家ばかりで、一本の柱でも、職人の二三年もかかって彫ったろうと思う細い見事な彫物、その柱が何千何百本と立ち連ってまして、歩く処は皆七宝のやきもので、塵一本おちて居ません。

正助はいよいよ目をきょろつかせて見てあるいて居りますと、あまり美しくて、目がくらみそうな家ばかりであります。亀は又、

「ここが龍宮の王さまの常のお屋敷、一つお目にかかって参りましょう」

とその家へ入って行きますので、正助も、すべらないように気をつけて、静に入りました。その座敷といいますのは、錦の窓かけ、綾の蒲団、珊瑚の机に金銀の諸道具、あたり眩い程に照り輝いてました。正助は、ただ魂消まして、きょろきょろ目して、見廻して居るばかりであります。

この時、龍王、正助の顔の、田舎ものらしいのを見まして、少しおかしく思い、笑を含みまして、

「正助とはその方のことか」との、お尋ね。

正助は畏って「左様でござります」と申しました。

「そうか。其の方は、日頃正直ものじゃとのことによって、今日、そちにつかわすものがある。……誰か居らんか、……姫に一寸来いよ」

と、お側の者に言いつけました。間もなく、数人の女郎を従えて、しずしずと出て来ましたのは、絵に書いた天女の様な、立派なお姫さまでありました。

王さまは又、「正助、其の方に姫をつかわすについて、夫婦仲よく暮すがよい。次の間で、ゆっくり御馳走をたべるがよい」と仰せられました。正助は喜びますこと涯り無く、散々馳走になりました後、又亀に送られて、自分の村に帰りました。

正助は、姫と睦しく暮してましたが、ここに一つの心配がおきて来ました。それは何かといえば、この國の司が、正助の妻の器量の良いのを見まして、之を盗み取ろうと、無理な策略(はかりごと)を考え、正助をいじめることになりましたのであります。

ある日、故無く正助の家に捕手(とって)を向け、驚き恐れる正助を引捕えて、無理無体に縄をかけ国司の館に引っ立てました。

やがて正助は、白洲に引き出されました。国司は、上段に横柄づらをして、「こりゃ正助、お前は、妻をこちらに上げるか、但しは、白ごま積んだ船千艘、黒胡麻積んだ船千艘を持参するか、明日の昼までに返事せい。きりきり帰りうせろ」と、白洲の外へつッとばしました。

正助は、その無理の仰せに呆れ、しおしおとして家に帰り、ため息つきながら、委細を妻に話しました。すると妻は、

「あなた、それは御心配なさらぬがようございます。私が調えましょう」

と言ってくれました、正助は、「お前それが何とか出来るか、」「できますとも」と受合いましたが、例の川ばたに立ちまして、先ず手を打ちますと、小さい船に白胡麻積んだ船千艘、ひょいと流れて来て着きました。又一つ手を打ちますと、今度は、黒胡麻を着んだ船千艘、同じくひょいと流れて来て着きました。

正助は喜びましてそれを持って国司の館に往き、献上いたしました。国司は、ちと当が外れましたけれども、そうは言わず「それは確に受取った。ついては、も一つ、「これはこれは」というものを持って来い、若しそれが出来なければ、其の方の妻を奪い取るから、そう心得ろ」

と、又難題を言いかけました。

正助は二度の難題に気を落とし、「とてもその様な物のあり様は無い、困った国司どのじゃ」と、泣きながら家に帰り、その事を委しく妻に話しました。すると妻は又、

「それは心配に及びません、私がよい様に図らいますから……」

というてくれました、そして針箱の引出しから、一つの小箱を出してまいり、「私を、この箱に押し込め、そして国司にさし上げなさいまし」といいました。正助は、

「この小さい箱へ、そなたのからだが、どうして入るもんか」と、てんで手もつけません。仕方がありませんから、妻が、

「それでは、私が独りで入りましょう」と言いましたが、煙の様なものになってしまいました。そして、箱の内から、「正助さん、早く国司へ献上なさいまし」と言う声がきこえました。正助は怪みながら、その言われましたままに、早速持って往って献上しました。

さて、国司は、今度こそは、正助が妻をよこすだろうと待って居りますと、「正助が参りました」という取次がありましたので、白洲に廻らせ自分もすぐに出ました。見ますると、正助は、妻をつれて来ませんで、何やらん小さい箱を持って来ました。

国司「その箱は何であるか」

正助「これがご注文の「これはこれは」でございます」

と申してさし出しました、国司は、何だろうと思い、蓋を明けて見ますと直ぐ内から一疋の大蛇が出まして「これはこれは」と驚く国司の首のあたりを巻きつけてしめましたので、国司はそのまま死んで仕まいました。

これを見た正助は、怖くて怖くて震い上り、すぐ飛び出して雲霞と逃げ去りました。かくて大蛇は、国司の屋根伝いに、前の川に入りましたまま見えなくなりました。定めし龍宮に帰りましたのでありましょう。又正助は、それから他國へにげゆき、又元の葱売をして、一生をくらしたそうであります。

石井研堂『日本全国国民童話』
(同文館・明44)