地蔵が淵という所はどこだかはっきり判らないんだね。古いお寺のあとだというけどね。その辺に堂合(どあい)という所もあって、寒川に近い方だということで。
あるとき、一杯やろうということで鰻を捕ったら、耳が大へん大きい鰻がとれた。それを切って煮ていたら、誰かが外から呼んだんだね。すると鍋の中で「おーい」と返事をしたって。皆気味がわるいというので鍋のまま川の中へほうりこんでしまったそうですよ。すると切った鰻はもとのようにくっついて、泳いで行ってしまったということですね。それで、これはお地蔵さんだ、ということになったってね。
お祖父さんから、よく聞いた話ですよ。(宮原 相原弘善氏 明治41年生・昭和51年11月)
『大系』にも同じ内容の話が引かれているが(「物いう魚」)、場所などがはっきりしないものになっている。これは「地蔵が淵」という場所が焦点となる話だ。鰻を地蔵とみる感覚はよくわからないが、その地蔵ありきの話ではあるのだろう。
もっともその淵の場所は今はもうよくわからないのだが、小出川の茅ケ崎・寒川・藤沢の境が近いところ、ということで茅ヶ崎市芹沢周辺だと思われ、茅ヶ崎市側にも同様の話がある(「物いうウナギ」)。
ともかく「物言う魚」はこのように「鰻」であるのが多い。そして、ここでは「耳が大へん大きい鰻」と、ヌシの鰻の外見的特徴が語られて、はじめにただの鰻でないことが予告されている。さらに、ぶつ切りにして煮ていたにもかからず、川に入るとくっついて復活するという不死性が語られている所も目を引く。