乙子童子

神奈川県鎌倉市

建長寺開山の蘭渓禅師が来朝する際、江の島の弁才天が乙子(おとご)という童子を一人、船の中に迎えに遣わし、鎌倉に着いて以降も禅師の守護として付け置いたという。ところが乙子は美しい女の姿であったので、禅師は破戒坊主じゃないかと悪い噂が立つようになった。

噂は北条時頼の夫人の耳にも入り、心配した夫人が腰元女房を三千人もつれて建長寺を訪れるという騒ぎにまでなった。はたして乙子は見つかり、夫人は禅師に向って、これは一体どういうことかと問い質した。

禅師は静かにこのものは江の島弁天から送られた守護であるといい、疑いももっともであるから本来の姿を見せなさい、と乙子に言った。すると乙子はたちまち数十丈もある大蛇となり、山門を七重に巻いたという。

これにて皆の疑いは解け、改めて禅師を敬服した。禅師は美女の姿に戻った乙子に、夫人たちに御馳走するように言い、乙子は見る間に三千人分の山海珍味を用意したという。

沢寿郎『かまくらむかしばなし』
(かまくら春秋社)より要約

鎌倉筆頭の大寺たる建長寺は、このように江の島弁天の守護を受けた寺でもあった。円覚寺もそうだが、さすがに弁天守護の証である三つ鱗をいただく鎌倉北条膝下の寺ではある。乙子童子と見ると、竜宮童子のようなイメージが連想されるが、さにあらずで美しい女人であるようだ。