こがの渡し

原文

むかし、小鍋島と沼目(いまの伊勢原市内)のあいだには、大きな沼がありました。みんなは舟をつかって、いったりきたりしていました。この舟でわたるところを「こがの渡し」といったそうです。

ところで、そうたいした距離でもないのに、いちいち舟にのらなければならないというのは、とても不便でした。そこで、いっそのこと、土をもりあげて、沼の中に道をつくったらいいだろうということになりました。

さっそく村じゅうの人たちが総出で、沼をうめて道をつくる仕事をはじめました。仕事はおもったようにはかどりませんでしたが、みんながいっしょうけんめいに力をあわせたので、どうやら道ができあがりました。

「よかった、よかった。これであしたからは、舟にのらず、自分の足で、沼をわたれるぞ。」

みんなは、手をとりあってよろこびました。

ところが、このようすをじっと見ているものがいました。それは沼目の古いお寺の、大きな松の木のあなにすみついていただいじゃでした。だいじゃは自分でかってに、自分のことをこのあたりの主だとおもっていましたから、自分に知らせず、道をつくったことに腹をたてたのです。

「なまいきな人間どもが、おれさまのゆるしもなく、沼に道なんぞつくりおって。どうするか、見ておれ!」

そして、夜がふけると、のそりのそりと沼にやってきて、めちゃめちゃにあばれて、村の人がせっかくつくった道を、ひと晩のうちに、きれいさっぱりと、くずしてしまったのです。

つぎの日の朝、きょうからあるいて沼をわたれるというので、よろこんで沼へきた人たちは、びっくりしました。

「ありゃあ! 道がきえちまった!」

みんなはがっかりしました。

でも、だれいうともなく、もういちどつくりなおそうということになり、また、みんなが力をあわせて、道をつくりあげました。

ところが、その夜、また沼目のだいじゃがあらわれて、せっかくつくった道をこわしてしまったのです。

「いったいどうして、道がきえてしまうんだろ。」

つぎの日、みんなは沼を見ながら考えました。

「おい、ちょっと見ろよ。なんか、ずるずる重いものをひっぱったようなあとがついているぞ。」

みんなが、そのあとをたどっていくと、お寺の境内の大きな松の木のところへきました。しかも、その松の木のあなぼこの中で、だいじゃが昼寝しているではありませんか。

「うーん! こいつのしわざか。せっかくつくった道を二どまでこわすとはゆるせねえ。この木をぶったぎって、ここにいられなくしてやる!」

こんどは、村の人たちが総出で、木を切りはじめました。これには、だいじゃもびっくりして、あわてていいました。

「おねがいだ、やめてくれ! この木を切られたら、いるところがなくなっちまう!」

これをきいた村の人は、木を切るのをやめるどころか、

「なにをいうか! おれたちが苦労してつくった道を、おもしろ半分にぶっこわしたくせに。かまわねえ、切っちまおう!」

と、まえよりいっそう、せいだして木を切りはじめました。さすがのだいじゃもこまって、なき声をだしました。

「わるかった、わるかった! もうしない、もうしないから、木を切らないでおくんなさい。」

村人たちは、どうしたものか、相談しました。そして、だいじゃに約束させました。

「これからいう、おれたちのいうことをきくなら、木は切らない。」

「へえへえ。」

「村の人たちには、ぜったいにわるさはしないこと。」

「へえへえ。」

「道をつくるのを、手つだうこと。」

「へえへえ。」

「よし、それならゆるしてやろう。いまから、道をつくるから、手つだえ!」

「へえへえ!」

というわけで、だいじゃも、あせをながして、せっせと道づくりの手つだいをしたそうです。どんなふうに手つだいをしたのかわかりませんが、とにかく、いっしょうけんめいに手つだって、道をつくるどころか、とうとう、沼全体を土でうめてしまったということですから、だいじゃも、すみかの木を切られるのが、よほどおそろしかったのでしょう。

小鍋島

山中恒『むかしばなし 平塚ものがたり』
(稲元屋)より