昔は小鍋島と沼目の間は大沼で、舟で渡っており「こがの渡し」といったが、不便なので、沼の中に道を造ることになった。村中総出で仕事をしたので、苦労しながらも道は完成した。ところが、沼目の古寺の松の木に住む大蛇はこれが面白くなかった。
一帯の主を自認するその大蛇は、生意気な人間め、と夜になると暴れてできた道をすっかり崩してしまった。村人たちは訳を知らず途方に暮れたが、再度道を造り上げた。しかし、やはり夜中に蛇が壊してしまうのだった。不審に思った村人たちは何かが這った跡を見つけ、辿って古寺の松に行き着いた。
そして、穴の中で寝ている大蛇を見つけ、これの仕業かとその松を切り倒してしまうことにした。大蛇はびっくりしてあわててやめてくれるように頼んだ。しまいには泣き声をあげて頼むので、村人たちもどうしたものか相談することにした。
そして、大蛇にもう道を壊さず、悪さをせず、また道を造るのを手伝うなら許そう、ということになった。大蛇は一生懸命手伝って、道を造るどころか、沼全体を土で埋めてしまったという。
「古賀の渡し」に道を造る話は、伊勢原市沼目側に主となる伝があり、まずはそちらをご覧いただきたい(「古賀の渡しのはなし」)。こちらの話は、それが渡った対岸の平塚市小鍋島でも語られていたもの、ということになるだろう。
読み比べるとわかるように、沼目のほうでは道を壊す蛇は殺され、その祟りの結末としての入定塚の伝となるのであり、かなり重い話であるのだが、一方の小鍋島のほうでは住処を切り倒されそうになった大蛇が慌てふためき半べそかいて村人たちに協力するというずいぶんほのぼのとした話になっている。
これが現代になって改変されたものか、実際平塚側ではこういう話だったのか(確かに入定塚は平塚側にはないので、そのモチーフを入れる必要はない)、というとにわかにはわからないが、動かない部分はどこなのか、を考える参考にはなるだろう。