天狗坊淵の怪異

神奈川県相模原市緑区

内郷村の隣の日連村を流れる青田川に天狗(てんごう)坊淵という大深淵がある。この淵の深浅で年の豊凶を占った。また鰻の宝庫といわれ、あまり古いことではないが、野良坊という鰻捕りの名人がやって来たという。

野良坊は様々に仕掛けを工夫したが、餌を取られたり糸を切られたりした。ある時は水中から大蜘蛛が糸をかけてきて引き込もうとしたという。そしてどこからともなく「天狗坊の何太郎」という声が聞こえたかと思うと、魚籃の鰻が皆消え失せてしまった。野良坊はこれがヌシかと気がつき、それ以来淵へは行かなかった。

また、ある人が鰻を沢山捕って帰ろうとすると山から「テンゴンボウ」と呼ぶ声がし、魚籃の鰻が「さらばよー」と答えたので、魚籃を投げ捨てて帰ったという話もある。

このヌシは大洪水の時に、流れ出してどこかの河原へ打ち上げられたが、その背にテンゴンボウという字が現れていたともいう。(鈴木重光『相州内郷村話』)

『相模湖町史 民俗編』より要約

簡単に背景を解説すると、内郷村の調査というのは、柳田國男率いる郷土会が村落調査様式という調査要項を定めて組織的な村落フィールドワークを行ったその第一回目になる(大正七年)。この際に、内郷村の青年会長として調査に協力、村各地を案内したのが鈴木重光で、以降生涯にわたって柳田と親交を持つ。

鈴木はそのまま自身が民俗学の道を歩むことになり、大正十二年に『相州内郷村話』を上梓する。このように、内郷村の調査というのは日本民俗学の組織的調査成果の劈頭となるもので、続く人々の手本となった。その鈴木の『相州内郷村話』に紹介されたのが「物言う魚」である天狗坊淵のヌシの話なのだ。

しかし、この話は「鰻が喋った」という所が切り取られて紹介されることが多いのだが、本来はこのようにヌシの鰻・テンゴンボウの色々を語った話なのだ。下って採取された話でも、天狗坊淵の怪としてはむしろ「蜘蛛が糸をかけてくる」という話が多く、賢淵・おいてけ堀の色合いの方が強い。

ちなみに天狗坊淵は相模湖の底に沈んでしまってもうない。また、天狗がどう関係しているのか、という感じもするが、そもそもこの周辺では水の怪・河童(かわうそ?)のような存在を川天狗(かわてんごう)という。