夢に現ずる江の島の龍

原文

磯子町の真照寺に近いほとりに、松浦某が邸内に観世音が祀られて居る。此処には又八幡大権現もともに祀られて居るが、探れば遠く凄じい昔語りが、ここにも光を放って居るのであった。

(中略・江の島の縁起梗概……片瀬の悪龍は弁天に鎮められ、子育て明神として龍口山となった)

さて子育て明神のいまだ悪龍であった時、これに仕える二龍があった。江の島湧出の際の振動に驚天し、遁げ出した一龍は、走せて猿島に止まり、一龍は金沢の城山に隠れた。この城山こそは金沢武蔵守貞将の居城であって、元弘三年新田義貞、後醍醐帝の綸旨を蒙り、鎌倉に北條を伐つに、北條散々に打ち破られ、磯子根岸の海岸に落ち延びたもの数限りもなく、その多くはこの附近の藁家の内で恨を呑んで自刃したと云う。

時は変るも仏神の威徳は衰えぬ。徳川五代将軍綱吉の代、この地疫病甚だしく流行したが、天女が岡村天神の神主主税の夢枕にあらわれ、われは龍口山子育て明神の現身の時、仕えた女龍であるが、江の島湧出の折、遁れて城山に隠れた因縁を以て、今までは北條家の守護をなしたが、滅亡してよりは跡方もない、殊に落ちのびて自刃した者どもの、悪念妄執残って尚冥途の苦しみに悩んでいる。この磯子の山に白旗権現として祀り呉れよ、さすれば一には落武者が怨念を晴らし、二には悪疫も鎮まらん、との告げなのであった、神主あまりの奇怪さに村人とも謀った上、ともかく白幡権現を祀ることにすると、さしもの悪疫忽ち熄んだ。かかる不思議も年を逐えば何時とはなしに世の中から忘れられてしまったが、ある時又々松浦吉松氏の令室が、夢に天女の霊感を得、弔いくれよ、頼むぞ頼むぞと託宣あって、即ちここに再び八幡大権現として崇め祀ることとなったと云うのである。こうして往古の夢が、いつも新しい姿を以て人の胸には迫るのであった。いつであったか真照寺裏山が大暴風雨のため崩れたことがあった。その時洞穴が発見され内には人骨や武具などで充満してあった。これは北條武蔵守一族のものであると云われて居た。(市電濱下車)

栗原清一『横浜の伝説と口碑・上』
(横浜郷土史研究会・昭5)より