正観寺の弁天

神奈川県横浜市保土ヶ谷区

川島町となった西谷村の正観寺に弁天があったが、裏山の崖が崩れ宮も穴も埋もれてしまった。そのまま四十有余年がたってしまったが、震災後の正月、この寺の大檀那のもとへ、何人かの村人が来て、弁天の穴を掘ってもよいか、と言ってきた。

訳を尋ねると、昨年暮れから夢に大蛇が出て、自分は正観寺の弁天だが、穴が塞がっていて困るから掘ってくれろ、と言ってくるのだという。早速許されて、穴を掘り出したが、これより夢には大蛇は出なくなり、話を聞いた参詣者が雲集するようになったという。

また、これが契機で震災で破壊された寺も再建された。しかし、そののちまた付近の住民から、弁天様が荒らし廻って困る、という申し出があった。調べると、檀家の何れの家へも蛇が廻って行った跡が歴然としている。これは穴は掘られても住居がないためだろうと、醵金して本堂を建立した。それで弁天様は出現しなくなったという。

栗原清一『横浜の伝説と口碑・下』
(横浜郷土史研究会・昭5)より要約

正観寺は今もあり、弁天の洞穴もある。岩壁にお宮前面風に扉があって、その奥に穴が続いている、という感じか。夢に出たのは白蛇であるともいう。また、この弁天の穴が正観寺建立(曹洞宗・寛永年間)より以前から祀られていたのだ、などともいう。

また、話自体としては、弁天ではあるのだが、実質蛇しか出てこないところが特徴的であるだろう。弁天のお使いの蛇が、という感じではなく、主体であるのが蛇で、それを弁天と呼んでいた、という風である。穴が本体であるような弁天では、確かにそうなるのが自然かもしれない。