小湊弁天

神奈川県横浜市中区

小湊橋のそばの弁天さんは開港当時までは北方の山の上にあり、霊験著しいと知られた祠であった。開港し、赤隊の兵舎とするというので山の上が均され、弁天はキリンビールのあった土地の琵琶池に遷された。しかし、ここに醸造場ができることになり、また異人たちが祠を射撃の的にするなどし、長居はできなかった。

ある時、村の若者の前に、一匹の白蛇が蜿々とやって来た。気味が悪いと打ち殺し海に捨てると、またやって来る。今度は火に投じたが、若者はその夜から大熱で寝込んでしまった。これを法華の行者に尋ねると、弁天の使いの蛇であったのであり、元の所へ戻りたいと告げ知らせんと来たのだという。

それは大変と、今度は海岸の蛇の頭の形をした弁天鼻という石のところに唐櫃を作って祀った。ところがこれも埋立の際截り去られ、今の橋側に祀られるようになった。

不思議なことといえば、弁天を琵琶池に遷している間、海からとれる海苔が悉く腐ってしまった、ということがあった。弁天鼻に遷してからは腐ることはなかったという。また、今の場所に来て以来、自転車や自動車でひっきりなしに怪我が起こるのも、弁天さんの霊験がなお著しいからだと尊崇されている。

栗原清一『横浜の伝説と口碑・上』
(横浜郷土史研究会・昭5)より要約

洲干島にしろ、この話の弁天鼻にしろ、今はもう想像するのも難しいところだが、こういった点をつなげてかつての「横浜村」の海岸を思い浮かべないことには、この地の海に面した昔話はピンとこないところかもしれない。