後に残る狐の舌

神奈川県横浜市西区

横浜開港間もない頃、横浜道にあたる戸部町あたりは商家が建ち並んで大層繁昌していた。中の田丸屋という酒屋の小僧が御用聞きの帰りに、狐の母子を叢に見つけ、石を投げて脅かした。母親は足を挫いて逃げ、子狐は生捕りにされ、家に持ち帰られ、狐汁になってしまった。

狐の舌は福の神だといわれるということで、主人はこれを貰い干物とし、箪笥の底にしまっておいたという。さて、時が過ぎ、このような出来事も忘れられたころ、この酒屋はどうしたものか、商売は寂れ、主人は死に、とすっかり傾いてしまった。

法華の信者であったので行者に頼むと、現れたのが狐であり、足を挫かれ子を殺された恨みで祟っているという。出来事を思い出した田丸屋の人々は、箪笥の底の子狐の舌を稲荷明神と祀り、母狐ともども岩亀横町の鬼子母神堂に頼んで祀って貰うことにした。それからは狐の恨みも晴れ、昔に帰る繁昌を見るようになったという。

栗原清一『横浜の伝説と口碑・上』
(横浜郷土史研究会・昭5)より要約

資料上中区の話となっているが、今は当時はなかった西区となっている所。岩亀などはもうみなとみらいで、話の頃の面影というのも無いだろうが、こういった狐とお稲荷さんの話がある。

竜蛇は全く出てこないが、「舌」が信仰対象となっている点を覚えておきたく、採録した。狐の舌そのものは往昔の怪しい薬の原料として珍重されてよく知られたものだったらしいが、これを稲荷として祀ると云う話もあったわけだ。

同様のことは竜蛇の舌にもいえるかもしれない。また、牛の舌を象った餅を供物とする神事などとの関係も出てくるかもしれない。