白旗飛来

神奈川県横浜市神奈川区

白幡町の八幡神社の山続きには二本の大松があって、源氏松・平家松と呼ばれていた。まだ八幡などなかった昔、石橋山合戦の時、白旗一流が何処よりか飛び来たって、源氏松に引っ掛った。この奇瑞を見た里人たちは、源氏が勝って頼朝の世となる前兆だろうと評し合った。

果たしてその通りとなり、この旗にちなんで村を白幡村というようになったそうな。八幡神社はその後にできたものだが、さらに昔、八幡太郎がそこに憩った旧地であり、これを卜して建てたという話もある。

栗原清一『横浜の伝説と口碑・下』
(横浜郷土史研究会・昭5)より要約

相模を中心とした「飛ぶはた」の話は、横浜市でも相模側の戸塚の舞岡などにも見える。しかし、これらはその「はた」が最終的に秦野市落幡(今は南鶴巻)に落ちた、という結末となる共通点がある。また、機織りの機(中将姫の蓮糸曼荼羅となる)と語られる場合は、日向薬師の寺宝のことになる。

この神奈川区白幡町の白旗飛来はその結末を持たないものといえる。そうなると同系話といえるのかどうかも胡乱なのだが、戸塚の場合なども源氏の白旗とする意を含んでいるので、やはり視野に入れておくべき話だとは思う。

というのも、「飛ぶはた」の話は幕末から明治にかけての横浜港を出口とした絹織物の通った道に関係するのじゃないか、という思いがあり、その絹の道(秩父から八王子といった始点側にもこの話がある)の終点に旗が飛んでいるのは見逃せないのだ。