上無川の片目の鰌

原文

神奈川という名の起ったのは、上無川が根源で訛ったという事は誰知らぬ者のない話であるが、昔、此の上無川には片目の鰌が棲んで居り、もし誤ってこの鰌を食すると、眼病を患うとて土地の者は怖れて食わなかった。今その由来を聞いて見ると、此の川上から流れて来た天王さまを、村人一旦拾い上げたが、後の祟りを畏れて又川へ流してしまった。するとその者の一家族悉く眼の病に罹った。さては天王様の御罰かと、早速流れの末の海中を探し求めたが遂に出現しなかった。

ところが天王さまの代りに一つの神面を拾い上げて、之を祀ることとなった。さしもの眼病忽ちにして平癒し。もともと神体が神面であったからこの宮を神面社と号けて、崇敬いよいよ増したのである。しかしこの神元来荒神なので、心に叶わぬことでもあると、神罰覿面なので畏怖した末は、件の神面を境内の地深く埋めてしまい、神面社を神明社と改め、大神宮を祭祀するようになった。この神面のために村が大に荒れたので、名を荒宿といったという伝えがある。片目の鰌はこの神面の惜しむもので、食えば眼を患うというのはこのいわれからであった。(市電神明町下車)

栗原清一『横浜の伝説と口碑・下』
(横浜郷土史研究会・昭5)より