山神と祭られし大蛇

原文

鶴見区菅沢町百六十二番地に鎮座する村社大山祇神社は、古くは山神社と称えられた。この辺一帯は昔は湿洳の甚だしい沼地であり、且つ此所には大蛇が棲んで時折里人を悩ませる話が高かった。或る時村の里正がこれを聞き、かように大蛇の為めに村人が難儀をしては困った話である、何とか救う方法を考えねばならぬとて、女房子供に水盃を取り交して、大蛇の棲むという辺まで出掛けたのであった。

果して巨蟒は人の姿を見るや忽ち紅蓮の炎を吐きかけながら今にも飛びかからんとする勢いで迫って来た。剛胆な里正は大蛇に向って申すことには、伝え聞く龍女も成仏すると云う、汝が年来の暴逆に依って村民の困難なる事算えることも出来ぬ。心あらば我が申すっことを聞き、速かに汝この地より姿を隠すがよい、さらば汝を山神として我が氏神と祀るであろう。さながら人に物言う如く懇々と語るのであった。里正の言を聞いた大蛇は恐ろしき姿を縮めるようにして畏まる風情であったので、里正は尚も詞をかけてから村へ帰った。それからは再び姿を見せなかったという。さてそこで約束通り山神を祀って祠を建て、村の氏神と拝したのであった。この宮の祭は五月十五日で、川崎田島町の小田の日枝神社と同日であり、日枝の御輿が村中を渡御して菅沢村の山神社の氏子どもは神主と供に二つ山に出迎える。そこで菅沢の神主が祝詞を奏し神輿を請取る、それを菅沢の者共が担いで山神社に来、後村中を練り廻ってから夕方小田へ還るのであるが、その時小田から弓張提灯をともして出迎え、而して宮に帰るのが恒例なのであった。然るにか様な古風も何事の因縁があってか、明治四十二年の頃に廃されてしまった。今は只毎年九月十九日が祭日となるのみで、格段な儀式がない。惜しいことではある。(京浜電鉄鶴見駅下車凡八丁)

栗原清一『横浜の伝説と口碑・下』
(横浜郷土史研究会・昭5)より