山神と祭られし大蛇

神奈川県横浜市鶴見区

菅沢町一帯は湿地で、大蛇が棲んで時折里人を悩ませていた。ある時、村の里正がこれを聞き、何とか村人の難儀を救おうと、女房子供と水盃を取り交わすと、大蛇の棲むという辺りへ出掛けた。果たして巨蟒が忽ちに飛びかかってきたが、剛胆な里正はひるまず、人に語るように大蛇に語りかけた。

曰く、伝え聞くには龍女も成仏するそうだが、汝の年来の暴逆で村民の困難は数えることもできぬほどだ。心あるならば、我が申す事を聞き、速やかにこの地より姿を隠せ。そうすれば汝を山神として我が氏神として祀ろう、と。

里正の言に大蛇は姿を縮めるように畏まる風情となったので、里正は尚も言葉をかけてから村へ帰った。その後、大蛇は姿を見せなくなり、里正は約束通り山神の祠を建て祀り、村の氏神と拝した。

これが今の大山祇神社で、かつては山神社といった。この宮の祭は川崎田島の日枝神社と同じで、昔は神輿の渡御が行き来したそうだが、今は格段の儀式もなくなってしまったという。

栗原清一『横浜の伝説と口碑・下』
(横浜郷土史研究会・昭5)より要約

菅沢は鶴見市場の南辺りで、もう川崎市も近い。鶴見川の最下流部で、今は住宅街だが、確かに往昔は一面沼だったろうという所。そこの大蛇を何故山神と祀ったのかはよく分らないが、四国よりの勧請かと神社庁のほうにあるので、あるいは伊予三島の蛇ということかもしれない。

ただし、話自体は『新編武蔵風土記稿』にあるのだが、そちらでは「山王社」とある。そうなると、伝に語られた日枝神社との縁が強い点が強調されることになる。