蟠まる魔除の大蛇

原文

鶴見区北寺尾町には古い説話とともに、極めて古い習慣が残って居る。その伝統の意義については一般の人にも注意する事が肝要であろう。

この辺の山中には神代の昔から一疋の巨蟒がすんで、これが北寺尾の主ということであった。悪疫流行して村民悉く難儀した折、村人は何とはなしに右の大蛇に向って、此の悪病を退散して呉れるようにと祈った処、間もなくさしも盛んであった疫疾も根絶して了ったので、さては大蛇が魔除をするものと、深く信ぜられる事となったのである。それ以来毎年の六月、即ち夏に入る頃ともなれば、村社八幡神社の前に集まって、今年も悪病のこの地に入らぬようにと一同社前に願を籠める、其の時村から他村へ通ずる道筋の境に青竹を立て、しめ縄を張りその〆縄の一端を大蛇の頭に擬えて作り、縄の中央に賽の形の物を作りつけて、吊下げるのである。大蛇の頭は藁ながらまことに凄じく、いかにも悪魔一切を威圧するような感が催されるのである。

言うまでもなく村境にかような七五三縄を張る行儀は日本に於ける古い土俗であって、即ち古えの神の勧請を、如実に示したもので、又大蛇の頭は単にこの心持を表したものである。さへは支障、障ぎる、塞ぐの意であって、後々になると同音の賽の目がここに加わって来た、而も賽の目には数を読むべき多くの目盛りがあり、悪魔の邪兇なる目の力を、同じく弱める呪術の変形とも見られるものがある。考えるほど日本の民俗は興味が深い。師岡町にもこの北寺尾と同様な風習があった。滔々として洋風の入り込む今の世に、上世専らに行われた旧慣が、尚伝わって居るということは、単に懐古趣味の上からのみの悦びではないのである。(東横電鉄菊名駅下車)

栗原清一『横浜の伝説と口碑・下』
(横浜郷土史研究会・昭5)より