影とりの池

原文

小山田と別所(現八王子市)との村境、雑木まじり立つ松、杉の木立ちに透けて見えがくれる寂しい淵があって長池という。

延元のころ、小山田太郎高家は新田義貞の部将として、摂津で奮戦したけれども、武運つたなくついに戦死した。この悲報が、やがて高家留守の館にもたらされ、一門郎従はこの上ない悲哀にとざされた。

ことにまだうら若い奥方のなげきは、傍でみる目にも痛ましく、憂愁にあけ暮れて一室に閉じこもる日が多くなった。

そして、ある日、奥方は侍女にともなわれて、そぞろ歩きに出かけ、その道すがら長池のほとりにさしかかったが、奥方は、ふと立ちどまって、池の面に写るわが姿をじっと見とれている様子だったが、一瞬ひき込まれるように、この池の深みに身を投じてしまった。そして侍女もまた、その後を追って入水しはてた。

凶報相つぐこととて、館の騒ぎはひとかたでなく、多くの侍女は長池に走りゆき、つぎつぎに池に身を投げてあわれ果てたという。それ以来、池畔の松籟とともに、女のすすり泣きがかすかにもれきこえ、女性のだれか池水に姿をうつせば心気もうろうとなり知らぬ間に水底にいざなわれるという。それかあらぬか、青い水をたたえて池はしずまりかえって寂しい。

『町田市史 下巻』より