喜多見の槍かつぎ

原文

ちょいと昔まではね、蛇が、えらぁいたの。青大将は、おとなしいんだよ。マムシ、ヤマカガシ、シマヘビなんか、河原には、蛇がずいぶんいたんだね。マムシにかまれると、ひと夏、仕事なんかできなかった。

マムシにかまれたりすると、「喜多見の槍かつぎ」のところに、みんな治療に行ったものなんだね。奇態に(ふしぎに)治るんだよね。子どものころなんか、やぶや草っ原歩くときには、喜多見の槍かつぎのうたをうたうと、マムシにくわれないって言われたね。

へーびも まむしも どーけどけ

おいらは 喜多見の槍かつぎ

じょっき切られて 腹立つな

(布田 明治四〇年生 男)

 

類話:蛇よけのうた

わたしら、子どものころ、山(雑木林)や田んぼ道など、草むら歩くときにはね、棒っきれで足もとを払いながらね、草刈りで鎌を持ってるときには、それで払いながらね、こんなうたをうたいながら歩いたもんだよ。

へーびも まむしも どーけどけ

おいらは 喜多見の伊右衛門だ

槍も刀も 持ってるぞ

ちょっきりきられて 腹立つな

これはね、蛇よけのおまじないのうただって。喜多見の伊右衛門とか何とか、その子孫の家が今でもあるらしいよ。そこの家で、マムシにかまれた治療もするんだね。何か、いわれがあるって聞いてるよ。(入間町 明治三〇年生 男)

 

[解説]伊右衛門さんの子孫の、世田谷区喜多見の斎藤家には、蛇よけの守り札と呪文、マムシにかまれたときの治療法などが、伊右衛門という名とともに代々伝えられてきました。江戸時代には、「蛇よけ伊右衛門」の名が江戸市中や近郷にまで知られ、治療を受けにかけつける人、お守りをもらいにくる人など、数知れないほどだったといいます。

このように代々伝えられた秘法や呪法は、伊右衛門に助けられた蛇が、その恩返しに教えたものだともいわれ、いくとおりかの言い伝えが残っています。その一つに、「槍かつぎ」の役をしていた伊右衛門が、殿様の狩のお供をしていたとき、槍で猪をひと突きにし、その下に組み敷かれていたマムシを助けたから、という話があります。

伊右衛門を名のる人は、蛇を自由にあやつることもできて、マムシにかまれた者が、かまれたときの様子などを話すと、そのマムシを呼びつけて、詫びさせたということです。

中島恵子『子どものための調布むかしばなし』
(調布市立図書館)より