神明様の池の大蛇

原文

武者小路さんの池、あそこには神明様があって、神明様の池って呼んでたとこなんだけど、昔は、わたしら小学校の初めごろは、まあ、ずっと大きな木があって、うっそうとしていたんだね。

たまたま、わたしん家の近所のおじいさんが、池のすぐ南側あたりの田んぼで、草取りをしていて、お昼になって。池の近くにね、大きな松の木があったんですよ、その木の根元で昼食をして。それで、松の木の根を枕にして、うとうとしておった。それでまあ、何か、だいぶ大きなね、いびきがする。それで目がさめて、ふと、上をね、見上げたところがまあ、大ざるぐらいの頭の大蛇が、松の木の枝の上で大きないびきをかいていた。それでもって、そのおじいさん、肝をつぶして、真っ青になってね、飛んで帰ってきて、それから一週間たつか、たたないうちくらいでね、亡くなったって。明治の末ごろの話だということを聞いた。わたしはもう、あそこは大蛇がいると、おばあさんから、よく怖い話をされたのでね、一人ではとても行けるものではなかったんですよ。

その後、池の上が、ずーっと一ヘクタールくらいの茅の畑になってたんだね、草葺き屋根にする茅を作ってたんだね。そうしたとこが、夏、茅の畑に、ちょうど自動車のタイヤくらいの太さの跡が、ずーっと、こう、ついていた。大蛇がのたくった何があった、といううわさがあった。(東つつじヶ丘 明治四十五年生〈男〉)

 

参考話:ぬしの尻

若葉町の入間川の橋のところを、ぬしの尻という。それは、あすこが、神明様の池の主、大蛇の、いちばんの尻にあたる、ということだったね。頭が、神明様の池で、尻尾の先が、橋のところあたりだったそうだ。(東つつじヶ丘 明治四十五年生〈男〉)

(注)「ぬしの尻」ではなく、にし(西)の尻だと伝える人もある。神明様の池は、いまの実篤公園の中にある池。

『調布市史 民俗編』より