天寧寺開山の一華文英は甲斐の出だが、信仰心厚い母が金峯山を一心に念じ得た子であるという。ある夜、母の夢の中に金峯山の竜神が現れ、すさまじい勢いで突き進んでくると、小さくなって母の懐に入ってしまった。そして一人の男の子が生まれたが、子の脇の下には三枚の鱗があったという。
この子が仏門に入り、才を発揮した一華文英で、武蔵国へ来て天寧寺を建て、後に神岳通竜禅師の称号をうけた。禅師は、永正六年(一五〇九)八十五歳でこの世を去るとき、一片の鱗を残して、寺背後の池に姿を消したという。禅師は、竜神の化身であったといわれている。