とげぬきの薬

原文

むかし、柴崎村の上の原(錦町三丁目)に、佐衛門という人が住んでいました。

佐衛門は、一日の野良仕事が終ると、多摩川で魚をとってきては、夕めしのおかずや、酒のさかなにしていました。

魚がたくさんとれて、あまった時は、竹の串に刺して焼き、“もり”(わらでつくった筒・べんけいともいう)に刺して、天井のはりから、いろりの近くにつりさげて、干物にしておきました。

ある夏の日。

佐衛門がひるめしを食べに、田んぼから帰ってくると、大きなへびが、はりをつたって、“もり”におりてきていました。

頭がおわんぐらいに大きく背は黒く、腹はまっ白、尾が二つにきれていて、ついぞこのあたりでは、みかけたことのないへびでした。

びっくりしている佐衛門の目の前で、へびは、もりに刺してある魚を、串ごとのみこんでしまいました。

すると、串がつかえたのか、へびののどのあたりが、おわんのような頭よりも、一まわりも大きくふくれ上りました。

さすがのへびも、どたりと、いろりのかたわらに落ちてくると、のたうちながら外にはいだしていきます。

どうするかと、佐衛門があとをつけていくと、へびは、庭の隅にまつってある稲荷さまの前の、吉祥寺の木(コマゴメの木ともいう)にはいのぼり、木の皮をなめはじめました。

しばらくすると、へびののどのあたりのふくらみは消え、何ごともなかったように、するすると、稲荷さまの石垣のなかにかくれてしまいました。

一部始終を見ていた佐衛門は、吉祥寺の木には、串をとかす力があるのだと考えました。これはきっと、人間にもきくにちがいないと、この木の皮を焼いて粉にし、とげが刺さった時に、傷口にぬってみたり、のんでみたりしました。

ぬっておくと、奥深く刺さったとげも、いつの間にかとれています。また、のんでみると、痛みがうすらぎ、傷がうんで苦しむようなこともありません。

この頃は、とげが刺さったり、麦ののげがささったり、その傷がうんで、命とりの病気になったりする人が多かったので、佐衛門は、この粉を「家伝の秘薬、とげぬきの妙薬」として売ることにしました。

この薬は、不思議なほどよくきくので、たちまち評判になり、近在はもちろん、江戸からも買い求めにくる人が、たくさんいたということです。

立川市教育委員会『立川のむかし話』より