鰻になった娘

原文

錦町四丁目にある市営住宅から、羽衣町三丁目にある火葬場のあたりまでの高台には、むかし、箕輪城というお城があったと伝えられています。

いつの時代の、誰の城か、どんな形の、どんな大きさの城か、などということは、全くわかっておりませんが、箕輪という地名と、城あとだといういい伝えだけが残っています。

高台の下には、矢川という、小さな川が流れています。矢川は、五〇〇メートルほど西にある、「井戸端」と呼ばれていた家(錦町二丁目)の屋敷内の湧き水や、附近のたくさんの湧き水を水源としている川です。段丘の下のあちこちから湧く水を集め、しだいに水量を増しながら、国立市の青柳、谷保方面に流れていきます。湧き水を集めた川ですから、水はたいへんきれいで、むかしは、わさび栽培も行われていたといいます。

 

さて、箕輪の高台の下の、矢川のほとりに、箕輪城の鬼門除けとしてまつられたと伝えられている「矢川の弁財天」があります。お城があったころは、大切にまつられていたのでしょうが、いつのころからか、荒れ放第に荒れてしまっていました。

むかしある人が、地主に頼んで、この境内を耕して畑にしたところ、地主の家では、一年の間に、三人もお葬式をだし、耕した人の家は、火事になってしまったーーこんな話が伝わっているので、たたりを恐れて誰も手をつける人がいないものですから、境内は荒れるにまかせて、ジャングルみたいになってしまっていたのです。ジャングルの中には、弁天さまのお使いといわれている蛇が、たくさんすんでいるので、近よる人もおりませんでした。

ところで、今から何十年か前に、立川に一人の修行僧がおりました。立派なお坊さんになるために、いろいろ苦しい修業をつみながら、一所懸命勉強していたのです。

ある時、この修行僧のところに、

「矢川の弁天さまをきよめて、世に出してあげてください」

と、一人の老人が訪ねてきました。

修行僧が老人に案内されて、弁天さまに行ってみると、子どもの腕ほどもある、みたこともない雑草が異様な形をして生い茂り、その中央に沼のようによどんだ池があり、その側に小さな祠があって、鳥居がたくさんたっていましたが、何か妖気みたいなものが、その一帯にただよっており、たいへん不気味な感じでした。

修行僧はその妖気を感じて、

「これではいけない。弁天さまは苦しんでおられることだろう」

と考えました。そして、あらためて、良い日を選んで整地にくることを弁天さまに約束しました。

さて、何日かあと、修行僧は何人かの人を手伝いに頼んで、みんな作業衣で身を固め、弁天さままでやってきました。

さっそく、境内にうっそうと茂るつげの木の枝をおろし、身の丈ほどもある雑草を刈り倒し、堀りおこし、石を片づけるなど、整地をはじめていますと、堂守のお婆さんが、かけつけてきました。

「やめてください。そんなことをしたら、たいへんなことになります。その辺の石は、みんな弁天さまの棲み家なんですから、あとのたたりが恐ろしい。ぜひ、やめてください」

と、青くなって訴えるのです。

そこで修行僧は、

「弁天さまに喜んでいただける法要をするのですから、決して心配はいりませんよ」

と、よく話して納得してもらいました。

その日一日、みんな精出して働いたので、すっかりきれいになりました。

ところが、その晩がたいへんでした。

修行僧が床について、しばらくたったころ、高い高い山から谷底につき落されるような感じで、はっと目をさましました。目はさめたのですが、体はなわでしばり上げられたように、自由がききません。

修行僧は必死にもがいて、ようやく目の前にあった大木に両手をかけて、谷底からはい上ろうとすると、その木がクニャクニャとなって、修行僧の方によってくるのです。それは何と、木ではなく、太いへびだったのです。あっ! と思うと、そのへびが不気味な音をたて、大きな口をあけてハァーッと、青くさい息を吐きかけてくるのです。

むかしからへびは弁天さまのお使いといわれています。これはまちがいなく、矢川の弁天さまがお怒りになっているのだと修行僧は思いました。

修行僧は、悪い霊を封じてしまう時のように、九字の印をきって、このへびを封じてしまおうと考えました。ところが、毒気をかけられたというのか、どうしても、身動きができないのです。

「これは、どうしたことだろう」

修行僧は、お祈りをしながら考えました。

その時、時計がちょうど二時を打つのが聞こえました。

それと同時に、修行僧の心に、はっとひらめくものがありました。

──弁天さまは、お怒りになっているのではなく、何かを訴えていられるのではないだろうか。九字の印で封じるのではなく、相承の密印によって、霊と和合しなければいけないのではないだろうか──

修行僧は、床の上に、一所懸命おき上って、足を組んで座り、心を整えて、相承のお祈りに入りました。

そのとたん修行僧を今までしばっていた魔性がパッと飛び散り、修行僧のからだは自由になり、喜びに満ちたすがすがしい気分になりました。

 

朝になりました。明るくなるのを待ちかねたように、昨日、整地を手伝ってくれた人たちが、顔色をかえて修行僧のところへやってきました。そして、昨晩おこった出来事を、口ぐちに訴えました。

「子どもが、へびだ、へびだと、ウワ言をいって、一晩中眠れませんでした」

「私は、へびに巻かれた夢を見て、一晩中うなされていました」

「天井を白へびがザワザワ音を立てて、つぎつぎに走るのが見えて、恐ろしくて一晩中まんじりともしませんでした」

みんな、弁天さまのバチが当ったのではないかと考えて、恐怖におののいています。

そこで修行僧は、

「みなさんは、一晩中といわれますが、そういうことは、二時少し過ぎには終っているはずですよ」

といいました。みんなは、顔を見合わせてうなずきあって、修行僧の顔をみつめました。

修行僧は、昨晩自分が体験したことを話しました。弁天さまと和合できたので、今後は、弁天さまもよろこんで協力してくださることを話しました。

修行僧は、それから三年つづけて、矢川の弁天さまで法要を営みました。

矢川の弁天さまは、今でも、信心深いたくさんの人に守られています。

立川市教育委員会『立川のむかし話』より