矢川弁財天

東京都立川市

羽衣町に、矢川の水源のひとつとなる湧水脇に祀られた矢川の弁財天がある。かつてあったという箕輪城の鬼門除けであったともいう。城なきあとはこの弁天も荒れ放題に荒れてしまい、ある人がその境内を耕して畑としたところ、一年に三人もの葬式を出すことになってしまった。

何十年か前に、立川に真摯な修行僧がいた。そこへ一人の老人が訪ねて来、矢川弁天を清め、世に出してくれないかと頼んだ。修行僧は弁天に赴き、妖しくジャングルのようになった境内を見て、弁天さんは苦しんでおるだろうと思い、日を選んで整地をすることを了解した。

ところが、僧と手伝いの人たちが作業を始めると、堂守のお婆さんがかけつけ、この杜は弁天さまの棲みかなのだから、後の祟りが恐ろしい、すぐ止めてくれという。僧は弁天さまのための法要をするのだから、と説得し、一日かけて境内をきれいにした。

その夜、僧は大蛇に谷底に突き落とされる夢を見た。蛇の息で身動きの取れなくなった層は、九字を切って調伏しようとしたが、ふと、これは弁天さまが怒っているのではなく何かを訴えているのだ、と気付き、和合相承の密印をもって祈願した。すると体は自由となり、すがすがしい気分となった。

翌朝、おなじような怪異に襲われた村人たちが恐れているのを、僧は自分の体験を話して安心させた。弁天さまの協力も得られたと人々は納得し、それから三年続けて法要が営まれたという。

立川市教育委員会『立川のむかし話』より要約

禁足の杜の話、といって良いと思う。あちこちに人間の了見で整えると、それが善意・信仰心からであっても祟る、という杜があり、近く(でもないが)だと津久井中野の弁天さんで、その祠を建て替えた人が死んでしまったなどといった。

こういった杜はいろいろな名で各地の田畑の中にぽつんと残されているものだが、南薩の森殿(もいどん)に関しての下野敏見氏の見解のように、切り拓かれて棲みかを奪われた自然神を封じた杜なのだろうとするのが妥当かと思う。「巣のようなものだ」と前にいったが、堂守のおばあさんが「弁天さまの棲み家なんですから」といっている点に注目されたい。

さて、とするとこの修行僧のしたことは何なのかという話になるのだが、もとより仏法の僧の昔話における役割というのは、そのような古い自然神を「成仏させてしまう」ものであることが多い。特に、竜蛇譚においてはそうだ。成仏した存在には、もはや「巣」は必要ない。

今も矢川弁天さんはあるが、きれいに整った境内と龍神之池のお社となり、石の蛇もある。しかし、それを「大切にされているきれいなお社」とだけ見るのはいただけない。この話はそのあたりのことを考えるのに指標となるものだといえる。