むかし。
でえだらぼうが、でっけえ下駄をはいて、あるいてきた。
富士見町のあたりまできたとき、下駄のはに、土がつまってしまった。
でえだらぼうは、足をふるって、土をおっこどした。その落ちた土が、一丁目の富士塚だということだ。
土を持っていかれたほうは、池になった。それが、三丁目のがけ下の、弁天池だそうだ。
立川の巨人譚。富士見町の富士塚は今もある。「だいだらぼっち」に代表される名は、巨人の名だけではなく、巨人が作った山や池の名であることもあり、ときには巨人伝説を抜きにして凹凸双方の地形をいうことがある。
そのような面があるのだけれど、この立川の話では、でえだらぼうの事跡が富士塚(凸)と弁天池(凹)の双方の由来として同時に語られている点で注目されるものだ。
また、下駄に詰まった土を落として塚になったという話は、あきる野市の雨間のほうでも語られる(「デイダラボッチの下駄糞」)。塚の分布を巨人の移動で語ろうとする感覚があったのじゃないかと思う。