三宝寺池の主

原文

明治何年かのことである。稲付村(今の北区稲付町)静勝寺の付近から、若い女の客を乗せた一台の人力車があった。いわれるままに、富士街道を一散に走って、練馬村を横断し、谷原村を経て上石神井村まで来た。そこで街道から離れ、三宝寺池のほとりまで来ると「ここで結構」といって女の客は車から降りた。そして「お礼にこれをあげますが、家へ帰るまで包を開いてはいけません」といいながら紙に包んだ銭らしいものを渡した。その頃の三宝寺池のほとりは、男でも気味の悪いくらいさびしかったし、何かその女の客も得体が知れないので、車夫は不思議とは思ったが、そのまま足早に帰途についた。しばらくいくと、うしろで大きな水音がした。はっとして、思わず振向くと、さっき乗せて来たあの美しい女が、見るも恐しい大蛇になって、今将に池に沈むところであった。車夫はもう夢中で、ひた走りに走って逃げた。稲付村静勝寺の下には、亀カ池という大きな池があったが、だんだんにその水が浅くなったので、そこにいた主が、水の清い三宝寺池へ移ったのだと、車夫の話を聞いた人々はいいあった。三宝寺池へ、よそから龍が移って来たという話は、この外にもある。徳丸村(板橋区徳丸町)の北野神社付近に池があったが、年毎に水がかれて小さくなっていった。或る年のこと、練馬村の馬子が、川越の方から、一日の仕事が終って、空の荷馬車をひいて、伊勢原(北町三丁目)あたりまで来た。もう夕暮のことである。そこへ、突然どこから湧いて出たのか、若い美しい女が現われた。そして、疲れているところですまないが、どうか上石神井まで、その荷馬車に乗せていってくれないかと頼むのであった。そういわれると、馬子はどうしてもことわることができず、いわれるままにその女を乗せて、村道を上石神井に向った。やがて三宝寺の近くまで来ると、もう家はすぐそこだから、といって車から下り、厚く礼をいい、紙に何か包んで、馬子に渡し、「きょうの駄賃にこれをあげます。必ずあけるのではありません。あけなければ、あなたはきっと幸福になります」こういって、その女はすたすたと、池の方へいってしまった。「何か変なことだ」と思っていると、池にとび込んだような水音がした。馬子が思わず振返ると、大きな蛇のようなものが、池の中に見えた。馬子は、夢中で家へ逃げ帰ったが、女のくれたあけるなといわれたその紙包が、気にかかってならないので、とうとういましめを破って開いて見た。中には、大きな鱗が三枚はいっていた。

白子村(埼玉県和光市)の熊野神社の池には、夫婦の龍が住んでいた。どうしたことか、夫婦げんかをしたあげく、雌龍は池をとび出した。そして女の姿になって、街道にいた馬子に頼んで、馬の背に乗せてもらい、三宝寺池へ移ってしまった。馬子はお礼にもらったおひねりをあけてみると、中には三枚の鱗がはいっていた。この馬子の家が川越屋といって、雌龍を馬に乗せたせいで、代代女の子ばかりが生まれるようになったとも伝えている。

石神井図書館郷土資料室
『練馬の伝説』より