氷川池の白なまず

原文

むかし、石神井川の古い流れの跡が大きな池になっていました。あしのたくさん生えている泥池で、まわりには、大きな松や杉が茂っていました。氷川池とも弁天池とも言っていました。

場所は、今の氷川町の氷川神社の東側で、戦時中に中仙道十七号線が通るまで残っていました。

池の中に小島があって、弁天さまがまつられてありました。池の水よりも泥が深いと言われ、池には大きな白いなまずが住んでいました。弁天さまのお使いで、もう何年も何年も長生きしていました。地震の起る二、三日前になると、白なまずは池に波紋を立てて、「地震が起るヨ、みんなしっかり気をつけて……」と教えてくれました。人びとは、それを大へんありがたく思っていました。しかし、誰れも白なまずを見たという人はありませんでした。

今から五十五年前、世の中も大へん開けて来た大正十二年夏のことです。その頃、板橋町青年団長に水村清という若いお医者さんがいました。若い人びとが「白なまずが地震を知っているなんて本当かナ、第一、白なまずが実際にいるかどうか確めよう……」ということになりました。水村さんは、若い人びとと一しょになって、二日がかりで池の水をほし上げました。しかし、白なまずを見つけることはできませんでした。

それから、何日もたたない九月一日、関東大震災が起りました。板橋の町も、ぐらぐらと大ゆれにゆれて、損害があちこちに出ました。

人びとの中には、「池の水を払って、白なまずを見ようと考えたのが、悪かったのではないか!」と、心配した人も少くありませんでした。

今でも氷川町ふきんに地震が感じられますと、お年寄りは言うのです。

「氷川様の弁天沼の白なまずが、土中深く身をかくしていて、時どき頭や尾を動かすのだ……」と。

おもしろい語り草ですネ。

いつまでも語りつたえて白なまずを思い出されることでしょう。

板橋区教育委員会
『いたばしの昔ばなし』より