氷川池の白なまず

東京都板橋区

昔、氷川町の氷川神社の東に、石神井川の古い流れ跡が大池になってあり、氷川池とも弁天池とも呼ばれていた。中島に弁天さまが祀られており、池の底には深い泥があるといわれ、そこには弁天さまのお使いの大きな白なまずが棲んでいた。

白なまずは地震が起こる前に池に波紋を立て、村人に気をつけるよう教えてくれ、皆は大変ありがたく思っていたが、白なまずそのものを見たという者はいなかった。大正十二年夏のこと、世も開け、青年団長のお医者さんが、若い人々と白なまずが本当にいるのか確かめよう、ということになった。

そして、若い人たちは二日がかりで池の水を干し上げたが、白なまずを見つけることは出来なかった。ところが、その数日後、九月一日に関東大震災が起こったのだった。板橋の町も大揺れに揺れ被害が出、人々は、池の水を払って白なまずを見ようとしたのが悪かったのじゃないか、と心配した。今でも、氷川町の年寄りなどは、付近に地震があると、氷川さまの弁天沼の白なまずが頭や尾を動かすのだ、という。

板橋区教育委員会
『いたばしの昔ばなし』より要約

氷川町の氷川神社の東というと今はもう首都高であり、大池は影も形もない。弁天さんは厳島神社として境内社に見えるのがそうだろう。関東で一般には弁天といったら蛇であって、鯰というなら鹿島だろうが、この昔の池には話のような弁天さんの白なまずがおったのだという。竹生島のことを思えばもっとあってもよい話ではある。

話の筋として面白い点は、その白なまずが「地震を予告する存在」から「地震を起こす存在」に何のひっかかりもなく転換してしまっているところだ。この話を語ってきた人たちはそれで何も問題なかったのだろう。天王さんなどに顕著だが神霊とはこういうものなのだ。