なわの大蛇で村を救う

原文

「娘がいなくなった」

上北沢村でのできごとでした。娘がいなくなった鈴木家は家がらもよく、当主の宗保と妻は、だれからも親しまれていた人でした。

それだけに村人たちは、

「あの末娘にかぎって……。人ごとではない」

と、自分の子どもがさらわれたように、心配したのです。

村のおもだった人たちが、かわるがわる娘をさがしに走りまわりました。あるときは甲斐の山路に、上野(こうずけ)の宿場にと、いなくなった娘のうわさを聞くたびに、みんなで手分けしてさがしました。

占師のところにもずいぶん相談に行き、東の方といえば東へ、西の方といえば西にと、たずねてもみたのです。

ところが、ひと月ほどたったある夜ふけのことです。いなくなった娘の声が、宗保の家のうらから、かすかに聞こえてきました。

「父さま、母さま、心配をおかけしました」

だが、どうしたことか、しばらくぶりに聞く娘の声とわかっても、宗保と妻はおきあがることができなかったのです。

また、娘の美しい声がしました。

「私は、いつまでも家や村をお守りするために、井の頭の池の主のところにお嫁入りしたのです。さがさないでそっとしておいて下さい……」

娘の声がとぎれて、立ち去るけはいです。両親はやっとおきあがることができました。いそいで雨戸を開け、月あかりにてらされた庭を見ると、草や木はおしたおされ、そこには一本の道すじができていたのです。井の頭の龍神に嫁いだかわいい娘が、たずねてきたあとだったのです。夫婦は、娘の名を呼びつづけ、おしたおされた草や木の上を、はだしのままで走りつづけると、その道すじは井の頭の池でばったり止まっていました。

「娘は、井の頭の池の主のところに、ほんとうにお嫁入りしたのだ……」

夫婦は、娘の幸福をいのって手を合わせました。

櫻井正信『せたがやの民話』
(世田谷区区長室広報課)より