美女、井の頭の龍神にお嫁入り

東京都世田谷区

上北沢村の鈴木家の娘がいなくなった。当主宗保は誰からも親しまれる人だったので、村人たちも我がことのように心配し、甲斐の山路へ、上野の宿場へと、娘のうわさを聞くたびに手分けして探し歩いた。占い師にもずいぶん相談し、東へ西へと訪ねたのだが、娘は見つからなかった。

ところがひと月ほどたった夜、宗保の家の裏から娘の声が聞こえてきた。心配をおかけしました、というその声にも、宗保と妻は起き上がることができなかった。そして声は、自分は家や村を守るために井の頭の主に嫁入りしたのだ、という。だから探してくれるな、と娘の声は言い、立ち去る気配がした。

両親がやっと起き上がって月明かりに庭を見ると、草木が押し倒され、一本の道筋ができていた。その筋をたどって夫婦が走り続けると、その道筋は井の頭の池で止まっていたという。

櫻井正信『せたがやの民話』
(世田谷区区長室広報課)より要約

今でも上北沢で植木屋さんと言ったら鈴木家なんだそうだが(鈴木庭園)、その家の話。これがいわゆる井の頭弁天の女人蛇体の伝説に出てくる「鈴木左内」の家。鈴木家はもと北沢用水を開くのに尽力した名主であり、代々左内を名乗ったという。

宗保という人の名も残っているようで、そうなると話は寛永の頃のこと、という勘定になるそうな。上北沢には北沢用水につながる大池があったといい、かつての池脇に祀られた左内弁天の小祠は今もある。というよりも、井の頭の女人蛇体伝説の本貫はこちらといえるかもしれない。