呑川は弁天神社のあたりで強く曲っているが、土地の人はそれをかんまがりと呼んでいた。昔、その里にお爺さんと娘が住んでいた。娘はたいそう料理が上手であったという。ある年の夏、台風が来て、呑川が氾濫し、明けて見に行くと、川の淵に裸の若者が倒れていた。
お爺さんと娘は連れ帰って介抱し、若者は息を吹き返した。そして、若い男女のこと、娘と若者は夫婦になった。その後、若者は嫁がなぜこれほどまでに料理上手なのか不思議に思い、その秘密を探ろうと、夕方に家を出ていく嫁のあとをつけていった。
すると、嫁は蛇を捕まえ、その蛇から料理のだしを取っていたのだった。若者は驚き恐れ、知られたと気づいた嫁は、どうかこのことは内緒にしてくれるよう夫に頼んだ。ところが、そこで夫が驚くべき身の上を明かした。自分は人間ではなく、かんまがりに住んでいた鰻なのだ、と夫は言った。
さらに、自分に似た蛇から料理のだしを取るとはおそろしい、と言い、夫は川へと帰ってしまった。娘の方は、その後世をはかなんで川へ飛び込んでしまったという。
「かんまがり」というのは東京都大田区大森東の方でもう海も近く、「旧呑川緑地」となっている所あたりだそうな。地図を見ても、かつての呑川の流れを示している緑地帯がうねっている(今の呑川は南の方をまっすぐに流れている)。
そのような土地にこのような鰻聟の話があったものなのだけれど、なかなか不思議な話だ。そもそも精力、という点から聟化しやすそうな鰻だけれど、実際はあまりそういう話は(本邦には)見ない。貴重な事例といえる。また、蛇からダシを取って妙においしい飯を作るとかいう娘は、大概本人が蛇体である(あるいは責め殺されて蛇体となる)ものだが、ここでは鰻を聟にとる人の娘がその業を発揮している。
もっとも、『口承文芸』上では、世間話・伝説の分類ではなく、昔話のカテゴリに入れられている。土地の伝というより、かんまがりを舞台にして「ウナギ聟入り」が語られただけだ、と捉えたようだ。
しかし一方で、大田区には鰻のヌシの話が多く見える、という傾向もある。この呑川のもっと上流の方でもヌシの大鰻が捕れ、食ったら祟ったなどという話があり(「蛇の祟りとウナギの祟り」)、近く洗足池にも鰻のヌシがいたというし、六郷の沼や多摩川にもそういう話がある。
やはり土地に「鰻聟」の話があったのじゃないか、と留めておきたい。聟入りするとなると、単に大鰻のヌシであるというより一歩神に近い存在となっているといえるだろう。南に行って奄美のほうには、そういった「鰻神」の話もあるが(「福川の主」)、どこまでそれが北上したものか、と考える際に参照されることになる。