蛇が谷

原文

昔むかしのことだった。浪花に岩船という村があり、その村の「ひょうたん池」のあたりは、山に囲まれて昼でもうす暗く、さみしい所だった。そこには、冷たくておいしい水が湧き出していた。いつのころからか分からないが、いくつもの井戸が掘られるようになった。井戸の水はいつもきれいに澄んでいて、井戸の底が見えるほどだった。

井戸の底は、どれもみんなつながっていて、やがて滝となって海に流れこんでいた。井戸水は、野良仕事に疲れた村人ののどをうるおした。ことに夏の暑い時には、ことのほか喜ばれた。

しかし、お盆の三日間はこの水を飲んではいけない、と言われてきた。そのためお盆の三日間だけ、野良仕事を休むのがならわしだった。

それは銚子のゲンバというしょう油屋から、大蛇が人間の姿に身を変えて、この井戸に来るといわれていたからだ。

不思議なことに、大蛇がこの池をおとずれると、しょう油の出来がたいそう良いといわれてきた。

銚子のしょう油は地元の人たちだけではなく、遠くの国の人たちにも重宝がられていた。そのため、みんなは銚子の大蛇が今年もたずねてくれることを願い、この時期になると米五合を古井戸に備える風習があったそうな。

ある年のことだった。与三郎という村一番のあばれ者がこの谷にフジヅルをとりにやってきた。

夏のお日様がジリジリとてりつける暑い日のことで。歩くだけで額にも背中にも汗がだらだらと流れてきた。

そんな暑い夏でも山々のせまったこの谷に入ると、日はさえぎられ涼しい心地よい風が吹いてきた。

「生きかえったようだ。なんと気持ちのいいことよ」

与三郎は腰の手ぬぐいをとって額の汗をふきながら、フジヅルをさがした。あっちの山、こっちの山と見上げながら歩いていた。

「おお、いいフジヅルだ。あのツルがいい」と与三郎は独り言を言い、草木をかき分けながら山の斜面を登っていった。

山から下を見ると井戸がキラキラ光って見えた。しばらくの間、その美しさに見とれていた。耳をすますと、小鳥の声にまじってコトコトコトコト……と、水の音がここちよく聞こえてきた。与三郎は思わずゴクリとのどを鳴らし、腰からナタをぬいた。

コーン、コーン、コーン、コーン

コーン、コーン、コーン、コーン

と軽快な音を立ててツルを切った。切り終わると、くるくるまいて肩にかけ、山の斜面をころげるようにおりた。そして、コトコトなっている井戸のほうに走った。

井戸には階段が規則正しく底まで続いていた。与三郎は、ひんやりする階段をおりて井戸の水をたっぷり飲んだ。

「ああ、うまい、うまい。生きかえった、生きかえった」

井戸の水はずっと奥まで続き、ところどころに日の光がさしこんでいた。階段も、さらに続いていた。だれがこんな階段を作ったのだろう、と思いながら光る階段をのぼって地上に出てきた。与三郎は家に帰り、この出来事の一部始終を話した。

「お盆に、井戸の水を飲んだんだけど病気なんかしないよ。それに井戸に階段が規則正しく付いていた。うまかったよ」

「なに! 水を飲んだんだと」

「ああ飲んだよ。うまかったぞ。光る階段もあったぞ」

「ばか。それは階段じゃないよ。へびだ。大蛇のうろこだ」

「へ、へ、へびのうろこだと」

与三郎はこわくなってわなわなふるえだした。

「でも、なんともないがな。このとおり元気だよ」と、ふるえながらも強がって平気な顔をして見せた。

それから三日目の朝だった。与三郎は高い熱に苦しめられ、吐き気をもようして寝こんでしまった。

みんな口々に「お盆に水を飲んだからだ。ヘビの上に乗ったから、ばちがあたったんだ」とうわさした。

命をとりとめた与三郎は、その後すっかりおとなしくなったということだ。

そして、それから「ひょうたん池」のあたりは「蛇が谷(じゃがやつ)」と呼ばれるようになったそうな。

(採集・齊藤かづ子 中村玲子 田中春枝 語り手・齊藤弥四郎)

 

ひょうたん池……岩船地区の関原地先にある溜池。池の形がひょうたんに似ていることから〝ひょうたん池〟と呼ばれている。農業用の溜池として利用されている。

岩船村……現いすみ市岩船。地域内の岩船海岸には、いまからおよそ七百年前、大しけにあった七十五座の神々が、漂流してこの地に上陸したという、古い言い伝えがあります。

銚子のしょう油屋・ゲンバ……しょう油は銚子の特産物。ゲンバはヒゲタ醤油の始祖・田中玄蕃です。

いすみ市民話編集委員会『いすみの民話』
(いすみ市教育委員会)より