蛇が谷

千葉県いすみ市

昔、岩船のひょうたん池のあたりは暗くさみしいところだったが、冷たくおいしい水がよく湧き、いくつも井戸が掘られていた。夏の暑い時には野良仕事の村人に特に喜ばれたが、お盆の三日間は決してこの水を飲んではいけないといわれてきた。

それは、銚子のゲンバという醤油屋から、大蛇が人の姿となってこの井戸に来ているためだと言われた。大蛇が池に来ると、醤油の出来がたいそう良いのだそうな。銚子の醤油屋は遠くの国でも重宝されるものだったので、皆は大蛇が池を訪ねることを願い、米などを古井戸に供えたものだった。

ところがある年の夏、与三郎という村の暴れ者がお盆の時期にフジヅルを採りに山に入り喉が渇き、山下の美しい井戸に見とれてしまった。この井戸には光る階段が規則正しく続いて降りており、与三郎は井戸の水をたっぷり飲んでしまった。

こうした一部始終を村に帰り話し、水を飲んだが何ともなかったと吹聴した与三郎だったが、それは光る階段なんかじゃない、大蛇の鱗だ、と知らされ仰天し、にわかに高熱を発し寝込んでしまった。皆は罰が当たったと噂し、与三郎もそれからはすっかりおとなしくなった。これよりひょうたん池のあたりは「蛇が谷(じゃがやつ)」と呼ばれるようになったそうな。

いすみ市民話編集委員会『いすみの民話』
(いすみ市教育委員会)より要約

いすみ市岩船の南のほうにひょうたん池は今もある。わりと海寄りの土地だ。これらの湧水は滝となって海に落ちているともいう。そういった湧水に、お盆の時期に大蛇が来るという話。

何故醤油屋が蛇を重視するのかはわからないが、ここではお盆にその蛇が移動している点に注目しておきたい。霞ケ浦周辺の盆綱などが代表だが、祖霊の帰郷が蛇の姿をしているという感覚はままある。そういった信仰に醤油の話が上乗せされているのじゃないかと思う。