日蓮と妙蓮尼

千葉県鎌ヶ谷市

日蓮の母梅菊はここ(道野辺)の在だった。東城に大野義清という豪農があり、そこに気立ての優しい梅菊という娘があった。梅菊は若かったが村の衆の信望も厚く、可愛がられており、屋敷前の七面大明神を深く信仰していた。

ところがいつのころか、この七面さまに白い大蛇が棲みついて、夜になると大イビキをかいて寝るので、近所の村の衆が眠れなくなる、という事態が起こった。皆は話し合い、神社と一緒に大蛇を村はずれの囃子水に持っていこう、ということになった。

若い衆が数人で大蛇を肩に担いで運び、泉のある静かな森でゆっくり休んでおくんな、と話しかけた。こうして大蛇のイビキには悩まされなくなったが、村の衆も梅菊もかえって大蛇のことが気になり、なかなか眠れなかったという。この梅菊が房州小湊の漁師頭に嫁ぎ、生まれた子がのちの日蓮さまとなる(後段略)

石井文隆『鎌ヶ谷の民話』(文京書房)より要約

後段は梅菊が小湊に嫁ぎ日蓮が生まれ、まつわる奇瑞が語られる。そして、道野辺に最終的に梅菊・妙蓮尼を追善供養する妙蓮寺が建てられる話が続き、話の題はそういうことなのだが、そこは略す。

その家というのは今の妙蓮寺あたりと思われるが、囃子水からは東武野田線をはさんで西南側になる。無論、日蓮宗の守護が七面明神であるというのは日蓮の身延入り以降の話となるはずなのだが、さかのぼった話ができるほどこの地でも七面さまは重視されたのだろう。